薔 薇 想 歌   




「……姉ちゃん、こんなところで一人で泣いてどうした?」
 突然頭上から降ってきた声にびくりとニーナは俯いていた顔を上げた。大通りを外れた脇道の壁に寄りかかり、漏れる嗚咽を隠すためしゃがんで膝に顔を埋め泣いていた。丁度、漸くそんな嗚咽も治まり出した頃であった。反射的に顔を上げて、しまった、とニーナは思った。男数人が自分を囲むようにして見下ろしていたのだ。外見で判断するのはあまり良くないとは思ってはいたが、見るからにガラの悪そうな容貌でニーナは顔が強ばった。男達から漂う酒臭さがより一層ニーナの緊張を煽る。
 一方、男達は、最初祭りというめでたい日に隠れるようにして蹲っている少女らしき存在に好奇心で声をかけたのだが、予想以上の美貌に驚きを隠せなかった。同時に抱いていた下心により一層火がつき、ひゅー、と数人から口笛があがる。
「おお、こんな綺麗な姉ちゃんを泣かすなんて酷い奴もいるもんだ、男か?」
「丁度いいや、一緒に酒でも飲もうぜ」
「そうそう、酒飲んで嫌なことはぱーっと忘れちまうのが一番だ! こんな日はとくにな!」
 この降って沸いたような幸運に、興奮を隠せない男達は口々にそうニーナに声をかける。下卑た笑いを浮べながら自分を見下ろし取り囲む男達にニーナはしゃがんだまま身動きがとれなかった。戸惑いと恐怖が混ざった表情に男達の嗜虐心は煽られ、同時に保護欲も狩りたてられる。一人の男がしゃがんだニーナを起こそうと細い手首を掴んだ。
「……っ!」
 力強く引っ張られ、無理やり立たせられる。ニーナはその腕を振り解こうとするがびくともしない、返ってそれが男達の劣情を煽るだけであって。
「……放して下さい」
 震えながらも凛とした声色で訴えるが、男達にとってはそれは予想された範疇だ、何処吹く風とでもいう様にただにやけた笑いを返すだけであった。
「まぁまぁ、酒でも飲んで楽しもうぜ、な?」
 そう返し、ニーナの手首を掴んだまま、連れ出そうとした。そのままぐいぐいと強引に引っ張られ、ニーナはきゃ、と小さな悲鳴を上げつつ必死で抵抗したがやはり無駄であった。
 内心パニックに陥っていたニーナは辺りを見回し、助けを求める。だが、祭りのせいか周囲の盛り上がりは凄く、誰もそんなニーナの様子に気がつく者はいなかった。否、気付いた者はいたがあえて面倒事に首を突っ込むような酔狂な者は滅多にいないだろう。
 「姉ちゃん可愛いね〜」と顔を赤くしながら――酒のせいかはわからないが、男は「もっとよく見せてよ」と歩きながらニーナのフードをとろうとした。ニーナはぎくりとしてその手を思いっきり払う。
「――この女っ!せっかく優しくしてやろうと思ってんのによ!?」
 酔っ払っていたその男は打ち払われた手のほんの少しの痛みに頭に血を昇らせ怒鳴る。仲間達が笑いながら宥めようとするが、その男はニーナの華奢な腕を強く握り――その痛みにニーナは少し顔を歪めた、自分の言う事を強く言い聞かせようとする。ニーナは先程思いっきり泣いたせいか、何か言い返したくても声が掠れ上手く言葉にならなかった。ただ、必死に抵抗して、その男を拒絶する。恐怖からなのか鳥肌が立った。漂う酒の強い臭い、怒鳴り声、己の腕を痣が残る程に強く掴む力、どれをとってもニーナにとって嫌悪の対象でしかなく。
 男の苛立った怒鳴り声が周囲の注目を集め出した。だがやはりというかニーナを哀れに思いながらも眺めるだけで、関わろうとする者はいない。尚も抵抗しようとするニーナの頑なな態度に腹を立てた男は手を上げようとした。
「おい、何をしている!」
 その時、祭りの喧騒の中でも毅然と響く声がその男の行動を固まらせた。
「おい、やべ……!騎士団の連中だぞ」
「ち、誰かが呼びやがったか……おい、行くぞ!」
 ち、と大きく舌打ちさせながらも男達は渋々とその場から逃げるように去って行った。
「大丈夫か?」
 去って行く男達に鋭い視線を浴びせ、騎士団と呼ばれた男は強く掴まれ赤くなったニーナの手首を見下しながら、心配そうに声をかけた。
 ニーナは沈黙しつつフードをより深く被った。
 鼓動は先程よりもずっと早く、妙に息苦しい…。

(――この……声は……)
 聞き違えるはずが、ない。
 自分が、この声を間違うわけがないのだ。
「祭りのせいで人々の気も高まっている……女性の一人歩きは危険だ」
 優しく、穏やかな声。今まで何度もこの声に癒され励まされた。ずっと聞きたくて求め続けていた。
(……カミユ……)
 ずっと、ずっと会いたかった人が目の前にいる。先程まで枯れるほど泣いたにも関わらず涙がじんわりと滲み出し必死でそれを抑えようとする。
「……風体からすると旅の者のようだが。私が宿まで送ろう」
 フードを被ったままのニーナを見下ろしながら、カミユは促す。
「……もう、大丈夫だ」
 だが、微動だにしないニーナを、先程の男達に絡まれた恐怖のせいだと思い、カミユは優しく宥めるように気遣った。変わらない彼の優しさにニーナは涙が零れそうになり、フードの縁を握る手にぐっと力をこめた。立ち尽くすニーナの反応を急かすこともなくカミユは待っていた。
 今この瞬間が永遠に続けばいい、とニーナ願わずにはいられなかった。
 ……例えこれが己の願望による幻聴でも、構わないから―

 だがその儚い願いもすぐに打ち砕かれる。

「あ、ジーク様……! こんなところにいらっしゃったのね」
「ティータ?」
「!」
「皆捜して……、ってどうしたのですか?」
 ティータは息を切らせながらもジークの前でフードを目深に被って俯いている存在に疑問を表した。
「ああ、さっき数人に絡まれていたところを私が見つけてね」
「そうなの……、それは大変でしたね。でももう大丈夫ですよ。とりあえず宿に戻りましょう? 私達が送りますから」
 ティータはまだ怯えていると思ったのか、優しくそう声をかけた。
「捜しているって、何かあったのか……?」
「あ、はい。そのことはまた後で……」
 ティータは少し言い辛そうに言葉を濁す。
 ニーナはこれ以上「ジーク」と「ティータ」の会話を聞くのが耐えられなかった。ぺこりと深く頭を下げ、逃げるようにしてその場を走り出し、人ごみに紛れようとした。
「?!」
「あっ、待って……!」
 ティータ達の引き止めようとする声にも止まらず、人ごみにぶつかるようにして逃げるニーナの後ろ姿を追う。
「……ジーク様?」
「……あのまま放っておくわけにも行かないだろう」
 去って行ったニーナを追いかけようとするジークにティータは苦笑する。誰にでもこうして向けられる優しさには惹かれつつも、同時に苦笑を禁じ得ないのだ。彼は自覚していないのだろう、その優しさがどれだけの女性を惹きつけてきたか。ティータは、そうね、と言って自分も彼の後について行った。だが、思った以上に人ごみは酷く、すり抜ける様にして逃げて行ったニーナをすぐに見失ってしまった。


 一方、ジョルジュは焦っていた。一度宿に向かったが、少ししたら様子を見に戻ろうと思っていた。今は一人でそっと泣かせてやりたかった。だが、半刻もたたない内に自分でも驚くくらいそわそわし出し、いてもたってもいられず戻ってみたのだが。人ごみのせいで幾分遅れ、先程の場所に着いた時にはニーナの姿はどこでもなかった。
(ニーナ様……)
 ジョルジュは何か嫌な予感がした。少しでも離れてしまった自分の不甲斐なさを悔いた。ニーナの涙を見て自分も感傷に浸ってしまっていたのだろうか、こんなときミディア達なら上手く立ちまわれるのだろうか、などとらしくないことを考え出して、ジョルジュは己に舌打ちする。とりあえずそんな思考を吹っ切ってニーナの姿を捜し続けた。




 ニーナは思わず逃げ出してしまった自分に驚きながら、人ごみの中を早歩きで進んでいた。目尻から涙の雫が零れる。それを手の甲で強く拭いながら。
(あんな風に飛び出してきて……不自然に思われたかしら……)
 だけど、声を出すわけにも、あのまま送ってもらうわけにも行かない。一目でも見てしまったらもうどうなるか自分でもわからなくて……ニーナはそのまま自分でもどこに向かっているのかを知らず無我夢中で足を進める。雑踏を抜け出し、見慣れない場所に辿り着いた。とりあえずニーナは息を整えつつ、自分を追ってくる姿が無いかどうか辺りを見渡した。
(よかった……いない……)
 今はこの人ごみに感謝しながら安堵の溜息を吐く。そしてはた、と気付く。
「……ここは……何処かしら……」
 宿ではジョルジュが自分を心配しながら待っているはずだ。だが、がむしゃらに歩いたせいかニーナは今自分が街のどこにいるか見当もつかず。宿までの道など分かる筈が無く、途方に暮れた。
「ど、どうしましょう……」
 一難去って、また一難。ニーナはおろおろしながら、フードの下から周囲を見渡す。だがやはりここがどこだがわからない。

「――やっと、一人になったな」
「……っ!?」
 ぼそりと聞こえた、昏い呟きに反応する間もなく、首に強い衝撃を受け、ニーナは手足が痺れるような感覚を覚えつつそのまま意識を失った。
 身体が傾き、地面に昏倒する直前でニーナの身体を支えたその存在は、怜悧な瞳でニーナを見下ろしていた。そして、ふ、と僅かに口の端を歪めそのまま街の闇の中に消えて行った。