薔 薇 想 歌   



「完全に見失ってしまったか……」
 逃げ出したニーナを、それと知らずに心配して後を追ってきたカミユは人ごみの中独りごちた。
「……何か、事情があったのかしら。逃げてしまうなんて」
「ティータ、ついて来たのか」
「ええ、だって放っておけません」
 後方で僅かに息を切らせながらついてきたティータを振り返る。そして視界に入った人物にカミユは瞠目した。
「……あれ、は……」
 まさか、とは思いつつ、急ぎ足でそちらに向かう。ティータが慌ててそれを追った。

「くそ、やばいな……」
 この異様な人ごみと、何より自分への苛立ちを隠そうともせずジョルジュは舌打ちを繰り返す。そして街を見渡しながら視界に映ったそれにジョルジュは思わず、げ、とうめいた。当初は旅の目的ではあったが、現時点では一番会いたくない存在だ。しかもそれが自分を目指し、やってくる。
「確か君は……ジョルジュ……?」
 英雄戦争において共に戦った仲間だ、しかも暗黒戦争の時からカミユはジョルジュの存在は知っていた。アカネイアに忠誠を誓い、大陸一の弓騎士とも云われるジョルジュ、弓の腕は勿論、人の上に立つ度量なども兼ね備えていた。何よりニーナの傍でニーナを護ってきた騎士。カミユが忘れるはずもなかった。
「……何故、君がここに?」
「……見てわかんねーか? 今日は祭りなんだろ、祭りを見に来ただけだ。あんたには関係無い……、って、あーったく、こんなことを言ってる場合じゃねぇか……」
 がしがしと頭をかいてそうぼやくジョルジュに、カミユは彼らしくない冷静を欠いた態度にますます疑問を深める。そもそも何故アカネイア大陸の人間がこんな遠方にいるのだろう、ここバレンシア大陸はアカネイアに比べ小さく、あまり存在も知られていない。祭りといってもその為だけに遥々アカネイアからやって来るなどとはあまり考えられなかった。そしてそこまで思い至り、カミユははっとした表情を浮べジョルジュを凝視する。まさか……という思いが胸を占めた。
「……あんたの思っている通りだ」
 カミユの表情からジョルジュは悟った。今更言いたくは無かったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。人捜しなら地元の人間の方が有利だ、比べるまでもなく。
「……まさか、ニーナがここに……?」
「……ジーク様?」
 彼らしくない動揺した声色に戸惑いがちにジークを見詰めるティータ。
「……ま、こっちも色々とあってね。詳しい事情はあとだ、ニーナ様が行方不明になった。あんたの力を貸して欲しい」
「! ニーナが……?! わかった、私も手伝う」
「有り難い、旅装でフードを被って顔を隠している。先程まで酒場の近くにいた筈なんだが……」
「フード? では、さっきの女性は……ニーナ……?」
「! ニーナ様に会ったのか?」
 そうならばあの不自然な態度には合点がいく。カミユは頷き、だが途中で見失ってしまった、と心底悔いたように返した。
「とにかく捜そう。平和になったとはいえ、こんな盛り上がりの中、女性の一人歩きは危険だ。ティータ、済まないが、アルム王に知らせてくれないか、騎士団を少し貸して欲しい、と」
「……はい……」
 複雑な表情で頷くティータを、ジョルジュもまた複雑な心境で眺める。
「では行こう、ジョル―」
 そう口にしかけた時、ジーク!! と幾人かの重なった声が聞こえた。振り向くと、そこにはメイ、デューテ、セリカ、そしてアルムまで一緒にいた。
「どうしたんだ、一体。アルム王までご一緒とは……」
「国に帰るって、本当なの!?」
 訝しげなジークとは裏腹に、詰問するような鋭い声のメイに、周りは慌てる。そして聞き捨てならない台詞にジョルジュは耳を疑った。
「どうして、それを……」
「やっぱり、本当なのね? どうして? どうして出て行くの?」
「……おい、あんた結婚するんじゃなかったのか?」
 ほぼ同時に左右からそう問い詰められ―両方とも切羽詰った表情だ、カミユは一瞬たじろぐ。だが、予想もしないジョルジュの言葉にカミユは訝しんで聞き返す。
「……結婚? 一体、誰の話をしている」
「いや、あんただって。……この街の奴等がそう口にしていたぜ」
 酒の肴に、というのは心中で付け加え、ジョルジュはカミユの反応に半ば呆れたように返した。
「あー、そのことについてなんだけど、ジーク……」
 苦笑を交えつつ、アルムは奇妙な三角関係を作り出している彼らに割って入った。背後では気まずそうなセリカ、デューテ。そしてティータも目を伏せる。
「うーんと、ちょっと君とティータの結婚式を画策していたようで、どこからかそれが街にも漏れ始めてね……ちょっとした騒動だ。気付かなかった?」
「……」
 確かに巡回している間、不躾な視線やひやかしの視線を投げてくるのはいつもより多かったような気がするが……。普段から人の視線に慣れてしまっているカミユはあまり気にしないようになっていた。そんなことよりも。
「……ごめん、ジーク。君にまた迷惑をかけるようなことを……、せっかく僕に祖国に戻る事を話してくれていたのに」
「いや、王……あなたが謝る事ではない」
「ごめんなさい、ジークさん……、ティータの為にといって結果的に余計な事をしてしまって……」
「ごめんなさい……」
「……ティータを置いて行くの?」
 恐縮しながら謝罪を述べるセリカとデューテ、メイはまだ何処か不満げにそう力無く問う。
「……その事なら、ティータとは話し合った。私はもうここにはいられない。」
「……でも!」
「すまない、メイ……」
 済まなさそうな、だが決して揺るがない瞳を見てメイはそれ以上彼を問い詰めるような言葉は口にできなかった。ぐっと唇を噛み締め俯く。ティータは先ほどから目を伏せたままだ。

(……こっちは、こっちで色々と大変なようだな……)
 修羅場の如く雰囲気にジョルジュは少し圧倒されていた。
「アルム王。それよりも至急お願いが」
「何だ?」
 何処か切迫したような雰囲気のカミユにアルムはたちまち“王”の顔に戻った。
「人を捜しています。騎士団の力をお貸し願いたい」
「人捜し、か。わかった、僕も手伝おう」
「王……?」
 いえ、わざわざ王の手を煩わせるつもりはない、そうカミユは言おうとしたが、アルムはそれを遮ってふっと微笑を浮べた。
「その人、ジークにとって大切なひと……?」
「……」
「……ごめん、今まで見たことがないような表情だったから。今はこんなことを話している暇は無かったね。では急ごう」
 そう言って、颯爽とニーナ捜索に向かうアルム。セリカはデューテ達とともに騎士団長であるクレ―べに連絡をつけに本城へ向かった。
(―大切……)
 改めて、この想いを言葉に、口に出したことなどないのかもしれない、……当たり前すぎて。初めて逢ったのは、七年も前になるだろうか。カミユは初めて逢った時のニーナの毅然とした決して敵である自分に屈しない瞳を思い出していた。アカネイア聖王家の最後の生き残り、そして自分はアカネイアを、ニーナの父である国王も滅びに追いやったグルニアの黒騎士団率いる将軍。祖国を裏切れない自分は、不本意ながらもアカネイアに叛旗を翻し、だが帝国の思い通りになどなる気はなかった。ニーナは最後の希望だ。帝国に立ち向かう為の。だからその為に、何度かニーナに、大切だという言葉は放ったかもしれない。その度にニーナは神妙に頷きながらも、僅かに寂しそうな表情をしていた。何故、今になってあの顔が思い浮かぶのだろうか。