薔 薇 想 歌   
 



 三年以上もの間、ソフィアの土地には作物が実らず、人々は飢えの苦しみを味わい続けていた。大地母神であるミラがドーマによって封じられた故である。だが、再びこの地に平和は訪れ、今までにない大豊作に人々は喜び感謝した。

 年に一度の収穫祭。その名の通り、大地の実りを喜び、感謝する為の祭りである。飢饉の際には祭りは当然の如く、中止されていた。だが、数年振りの祭り。そして今まではソフィア内だけであったのだが、国が一つとなった今、バレンシア大陸を上げての大規模な祭りを催すことが決定された。
 活気と笑顔溢れる祭りに、観光客も噂を聞きつけてかつてない賑わいを見せた。
一週間にも渡って開催され、毎晩宴会のような騒ぎである。新しく創立された王国騎士団は国の警護にあたり、秩序の維持にあたっている。バレンシア特有の踊りが一晩中続けられ、人々は飢えと日々の労働からの開放感に酔いしれた。復興に励む人々にとってはいい気晴らしとなるだろう。

「ニーナ様、宿の方はなんとかとれました」
「ありがとう、ジョルジュ、この人の多さでは苦労したでしょう……。それにしても丁度年に一度のお祭りだなんて私達、幸運ですね……お祭りなんて初めてです」
「……そう言えば、ニーナ様はいつも外出禁止でまともに祭りに参加されたことはなかったですね」
「はい、人の多さに驚いています」
 ニーナ達は数日前にアカネイアより西、ここバレンシアへと無事に到着していた。カミユを探しに来たのだが、この人の多さでは身動きすら上手く取れず、宿をとるにも一苦労という有り様であった。そして到着してから宿の人に「カミユ」「シリウス」という人間の所在を聞いたりしていたのだが、情報は一つも得ることが出来なかった。
「すいません、お役に立てず……」
「謝らないで下さい、ジョルジュ。私が貴方に感謝してもし足りないのですから……ジョルジュがいなければ、この人混みに流されて私は途方に暮れていました。宿にも泊まれず、野宿していたでしょう。あ、でも野宿というものがどんなものか私少し興味あるのも事実ですけれど……」
「……それだけはどれだけお願いされても俺は出来ませんからね」
「そうですか、残念ですね……」
 心底残念そうに呟くニーナに思わず苦笑するジョルジュ。こうやってニーナと二人きりで祭りに参加する日が来ようとはジョルジュ自身思いもよらなかった。ただ護衛というのもニーナの為に何か自分に出来ることをしてやりたかっただけである。物珍しそうに売りに出された品々に目移りしている姿――目立たぬようフードを被り金髪を隠してはいるが、愛らしさはフードでも隠せはしない……フードの下から滲み出る彼女の美しさが自然と周囲の視線を集めた。だが、当の本人は鈍いのか、相変わらずきょろきょろと興味津々な様子で祭りの雰囲気を眺めている。ジョルジュはその様子を嬉しそうに見守っていた。昔から、こうやって影ながら彼女を見守ってきた。己の忠誠は彼女に全て捧げ、彼女の幸せをずっと願っていた。戦争を終えた今でも払拭されない彼女の悲しみが今は一瞬ではあるが、薄らいでいる……それも自分と二人っきりのときに。それだけでジョルジュは満足だった。
 どうやらこの旅のもう一つの目的は果たせているだろう。一つは言うまでもなく、ニーナの想い人であるカミユとの再会。そしてもう一つのそれは本人に自覚はないだろうが、いわゆる気分転換である。この頃彼女は思い詰めており戦争が終わっても気の休まるときがなかったからだ。これはリンダやミディア達からも強く念押しされたことでもある。自分に果たしてそんな役割が出来るか不安だったが、祭りというのはその点ではジョルジュにとって幸運だったろう。ただ、肝心の探し人の情報を得るのが難しいといえば難しいが。
「ニーナ様、危ないですからあまり離れないで下さい」
「あ、ごめんなさいジョルジュ……。つい童心に返ってはしゃいでしまってました……」
 悪戯を咎められたときのようなバツの悪そうな笑顔を浮かべニーナはフードからはみ出た緩くウェーブのかかった金髪をいそいそといれた。
「カミユを探さないと行けないですのにね……ごめんなさいジョルジュ。まだ私ったら怖いようです……」
「ニーナ様……」
「彼の……本当の姿を見るのが……怖いのかもしれませんね……。彼に会いたいのに……でも会うのが怖いだなんて、本当に私は臆病者です……」
「人の人を想う気持ちというのは矛盾だらけです、だからこそ人は迷う……」
「ジョルジュは……迷ったことがありますか……?」
 こういったことを話すジョルジュは珍しかった。本心を問われても巧みにはぐらかすのが上手いと思っていたから、ついニーナは真剣な表情のジョルジュを凝視しながら訊いてしまった。

「……ええ、何度も」
「そうですか……」
 それ以上、ニーナは聞かなかった。

「こうしていても何も始まりませんね、ともかく彼を探しましょう」
「はい」
 人が溢れる酒場―情報収集には一番向いている場所であろう。ジョルジュはニーナに入り口で待つよう言ったがニーナはそれを聞き入れなかった。興味があったのも事実だが、自分でカミユの情報を手に入れたかったし、ジョルジュばかりに任すのは気が引けた。ニーナの頑固さをよく知っているジョルジュは「俺から離れないで下さいね」と諦めた風に酒場へと向かった。
 だが、マスターや常連客に聞いても返答は「カミユ? シリウス? 聞いたことないねぇ」「さあ……」だった。
「……名前を変えているか、それとも……」
 ひっそりと暮らしているのかもしれない。そうなれば探すには時間がかかるだろう。ジョルジュはそう独りごちた。
 一方、テーブル席に座らせ、きつくここから動かないよう言われたニーナは近くの席の客に一人ずつ丁寧に尋ねていった。酒場には似つかわしくない高貴な雰囲気はフードを被っていても旅の軽装をしていても隠せはしないのだろう。じろじろとねめつけられるように視線を浴びせられ、その無遠慮な視線に慣れてないニーナは少し怯んでしまったが、勇気を振り絞って尋ね続けた。酔っ払いの客がニーナに興味を持ちフードをとろうと絡んでこようとしてきたがそれは一通り聞き終え戻ってきたジョルジュによって阻まれた。男のニーナに触れようとした腕をきつく締め上げジョルジュはニーナの背後から殺気を帯びた視線を男に向けた。男は最初腕の痛さにうめき、続いてジョルジュの殺気に驚愕して慌てて「ごめんよぉ、酔っ払ってんだ許してくれよ〜」と媚びた笑いを浮かべながら謝った。ジョルジュはすっと殺気を消し腕を放してやる、当のニーナはというと驚いたまま固まっていた。
「……大丈夫ですか、ニーナ様。ですからあまりこういったところには入って欲しくなかったのですが……」
「い、いえ、ありがとうジョルジュ……助かりました」
 ジョルジュの声にはっとしたようにニーナが礼を言う。男にというより、ジョルジュの殺気にあてられて驚いたのかもしれない、そう思い至りジョルジュはしまった、と内心思った。
「ところでやはり、カミユの情報は得られませんでしたね……」
「はい、ここでは金髪は憧憬の対象ではありますが、そう珍しいわけでもありませんし……」

「おうおう、あんたらせっかくのめでたい日に素面だなんて、っかー!何やってんだい!
 しょうがねぇ、俺がおごってやるからこれ飲みな」
 突然目の前にどん、と勢い良く置かれたジョッキ一杯溢れる麦酒にニーナは肩を大きく震わせた。後ろの席にいた中年の髭を生やした割腹のいい男性ががっはっはと楽しそうに笑いながら、周りから見たら辛気臭そうなニーナ達に話しかけたのだった。かなり飲んでいるのか耳まで真っ赤だ。
「……これが麦酒……ですか?」
 酒類といっても高級なワインぐらいしか飲んだ事のないニーナは、目の前の、彼女にとっては驚くほどの大きさの器に注がれた麦酒に目をぱちくりとさせる。せっかく厚意で出してくれたものなので飲まなければ悪いと思ったニーナは取っ手を握りながら、もしかしてこれ一人分なのでしょうか……全部飲まなくてはいけないでしょうか……、と内心悩んでいた。
「ニ、ニーナ様、俺が飲みますから……!」
 一人で全部飲もうとしていたニーナに慌てたジョルジュはジョッキを奪うと、ごくごくと一気に飲み干した。その豪快な飲みっぷりに先ほどの男性も手を叩いて喜んだ。
「いよっ! いい飲みっぷりだねぇ、にいちゃん!」
 ニーナもジョルジュ凄いですわ、と感心して一緒に拍手をしている。
「よーし!! おい、皆でジーク様の結婚を祝ってもう一杯乾杯といこうや! そこのにいちゃんとねえちゃんも一緒に楽しもうぜ!」
 その一言でより一層酒場内に歓声が響く。ぴゅーと口笛も幾箇所から響いた。
「それ、本当かい?」
「おう、さっき聞いたんだが、この祭りで結婚すんだってよ! 確かだぜこれ」
「え〜ショック〜! ジーク様狙ってたのにー!」
「お前じゃ到底釣り合わねぇって」
「何ですって!」
「めでてぇな〜、ジーク様せっかく帰って来てくれたし俺らも一安心だよ」
「よし乾杯いこうぜ乾杯!」
「がはは、お前等何でもいいから馬鹿騒ぎしたいだけだろ?!」
 どっと、笑い声が響く。誰もが酒を片手に笑顔で喜びを分かち合っていた。
「……そのジークという方が結婚されるのですね、それはおめでとうございます」
 ニーナは異様な盛り上がりと興奮、酒場独特の雰囲気に気圧されつつも笑んだ。酒場の人間の誇らしげな表情からその人物の人気の高さが見える、知らない名前だが、これだけ民から祝われるのだ、きっと素晴らしい人物に違いない、こんなにも喜ぶ人々の笑顔を見てニーナまで嬉しくなってしまった。
「おや、あんたジーク様を知らないのかい??」
 ニーナの言葉に心底驚いたように声を上げる男だったが、ニーナの服装を見て納得した。
「ああ何だ、その風体からすると旅の者だな。ジーク様は不憫な境遇をお持ちでね、傷だらけでこの大陸に流れつき、気がついたときには記憶も名前も全て失っていたのさ」
「……え……?」
「だが、素晴らしく人間の出来た方でね、騎士としても人間としても最高だ。すぐに国王によって騎士団長という立場を与えられ、我々を守ってきてくれた」
 まるで自分のことのように誇らしげに語る男、周囲からも幾つか賛美の言葉が上がった。酒の入った女性からは黄色い声があがる。だがニーナはそんなことよりも胸を覆うひんやりとした予感だけが気になった。
「どんな……容姿をしてらっしゃるのでしょう……」
「おや、あんたも気になるのかい? そりゃ〜いい男でね!
 獅子の如き強さと獅子の鬣の如く輝く金髪に強い意志を持った碧眼、背が高くて端正な顔立ちで若いおなご達の憧れの的さ。戦争が終わって姿を消していたそうだが最近帰ってきてくれたみたいで国民は皆喜んでいるよ」
 横にいた中年の女性がにやにやと含み笑いを浮べつつ自慢気に語った。その人物の特徴はことごとくニーナの捜し求めていた人物、カミユと被っていた。
 間違いない、ジークがカミユだ。ニーナとジョルジュはそう確信した。
「恋人がいると聞いていたが、結婚か〜」
「確か、ティータとかいってたっけ?お城付きのシスターで、瀕死だったジーク様を介抱した娘らしい」
「へ〜命の恩人ってわけか」
 酒の肴にますます盛りあがる人達の話の内容が頭に入ってくるのをニーナは必死で拒もうとした。知らず震える。意識が遠のくのを必死で堪え、ニーナは小さくお礼を言ってその場を離れた。
「ニーナ様……」
 おそるおそるジョルジュは背後から声をかけた。返事など期待してはいなかったがかけずにはいられなかった。
 最悪、だ……。
 ジョルジュはこの状況に胸中で舌打ちすることしかできなかった。ニーナの想い人であるカミユに会う前に残酷な事実を知ることになろうとは。いや、会う前でよかったのかもしれない。だが、他人の口から聞かされるのはどれだけ苦痛だろうか。ニーナの華奢な肩が僅かに震えている。ジョルジュは唇を噛み締めてそっと見守る事しかできない自分に腹が立った。
 恋人がいるという事実も辛いが、記憶喪失だったことにも驚いた。先ほどの会話を聞いては責めたくても責めることもできないではないか……ジョルジュは残酷すぎる現実にニーナが耐えられるのかそれだけが心配であった。ここではカミユでもシリウスでもない、ニーナの知らない「ジーク」となって見知らぬ女性と結婚をする、だが違うことなくその人物はニーナがずっと想い続けていた相手なのだ。

 そのまま棒立ちになってどのくらい過ぎただろうか、酒場の入り口より少し離れた道の脇、数歩先にフードを被って佇むニーナがいる。だがこの数歩がどうしても埋められなかった。今も、……今までも。ただジョルジュは静かにニーナの華奢な背中を見守っていた。どれくらいの時間が経っただろうか。時間にすればとても短いものだったかもしれない。けれど、ジョルジュにとってはこれ以上ないくらい、長い苦痛のときだった。ゆっくりと振り返ったニーナは、静かに「さぁ、帰りましょうか」と呟いた。その言葉にジョルジュは驚いて目を見開く。ニーナは泣いてはいなかった。涙が溢れてもいなかった。
「……会って、いかれないのですか……?」
 せっかくここまで、その為だけに来たというのに。
「はい……これ以上迷惑はかけられませんから」
「……」
「……そんな顔しないで下さい、ジョルジュ……。私はほっとしているのです、カミユがやっと幸せになれるのですから……。いつも戦いに追われていて……戦いなんて本当は嫌いな優しい方なのに……だから、これからは穏やかに暮らして欲しいのです」
 真正面に向かい合うニーナがどこか遠くを見詰めながら、囁く。祭りの賑わいとは対照的な、とても優しい声色だった。ジョルジュは言葉に詰まって、ただ彼女を見詰めることしかできなかった。
「……とても、寂しいですけれど……でも、同じくらい、嬉しいのです」
 ふわりと儚い微笑を浮かべる。だがその瞬間、目尻から涙が零れてしまった。
「あ……えっと、情けないですね……。あの、ジョルジュ……」
「……はい」
「少しだけ……一人にさせて下さいますか? ……大丈夫です、心配しなくとも皆が私を待っていてくださるとわかっていますから」
「……はい」
 ジョルジュは今のニーナの状態を見て、否と言えるわけがなかった。
「……ふふ、この事は二人の秘密ですよ」
 そっと人差し指を唇の前にもってきてニーナは淡く微笑んだ。
「ええ、リンダやミディアに知れたらそれこそ大変ですからね」
 その淡く消えてしまいそうな微笑に泣きたくなるような気持ちを抑え、ジョルジュは肩を竦めて言う。その言葉にお互いくすり、と笑った。
「……では、先に宿へ戻っています。あまり人気のない場所には行かないで下さい。……少しだけですよ、すぐにお戻り下さい、貴方に何かあれば……」
「はい、わかりました。……いつも我が侭言ってばかりでごめんなさい」


 ジョルジュが心配げにこちらをちらちらと振り返りながら宿の方へ向かっていくのをニーナはぼんやりと眺めていた。途中で何度も視界がぼやけたが通路で泣くのは迷惑になるだろう、ニーナは少し脇道に入り端に寄る。ここなら大通りにも近いので大丈夫だろうと思った。ジョルジュの姿が見えなくなった途端、涙はぽろぽろと溢れ出し止まらなかった。こんなに涙が止まらないのは初めてかもしれない、少しくらいなら声を出しても祭りの喧騒で消されてしまう、周囲の大勢の人間の気配も気にならなかった。ここには自分を知っている者はいない、自分が知る者も……いないから。ここに「カミユ」という名の男はいないのだ、始めから。そう思うとなんだか余計悲しくなった。やはりあの時に自分の愛したカミユという人間は死んでしまったということなのか。悲しいのと辛いのと寂しさ、色々な気持ちがごっちゃになって自分でもわけがわからなかった。ただ涙だけが訴えるように流れ出て止まらない。彼が無事でいると、幸せでいると知って嬉しい気持ちも、ほっとした気持ちも確かにある。誰だって大好きな人には幸せになってもらいたいから。
 だけど、どうやっても消せない、願わずにはいられない気持ちもある。
 願わくば、その人の幸せが自分の傍にあったら……自分の居場所が、彼にとっての居場所であったら……。

「これで……貴方を想って泣くのは最後です……これで、最後ですから、今だけは……。……さようなら……カミユ……」

 一目でも会いたかったけれど……。

 今の状況で平静でいられる自信はない。これ以上迷惑はかけられない。今まで何度も自分を救って支えてくれた彼の迷惑になるようなことだけは避けたかった。
 己に強く言い聞かせるように、涙が頬をすべて濡らしてしまうほどに泣き続け、ニーナはやっとのことで別れの言葉を吐いた。