薔 薇 想 歌   




「ニーナ様、少し宜しいでしょうか」
「あら、マルス王にシーダ王妃。今日はゆっくりお話も出来ませんでしたね……改めてお祝い申し上げます、二人とも、末永くお幸せになって下さいませね。これからが大変だと思いますが、私も出来る限りお手伝いさせて頂きたいと思っています」
 宴も終焉に近づいた頃、マルスとシーダはニーナの元へやってきた。ニーナは改めて彼らに祝いの言葉を述べ、同時に彼らがこれから負う重責を思い、少し悲しそうな表情を浮かべる。
「ありがとうございます、ニーナ様。その、これからのことなのですが……」
 マルス達も同様にニーナを心配していた、幾度かカミユとも接したことのあるマルスはシリウスの正体にも気付いていたのだ。だがあえて気付かない振りをしていた。きっと何か理由があるのだろうと思っていたから。彼はそれをも知っていたのか、戦いが終わった直後、「ありがとう……すまぬ」と自分に告げ、そのまま姿を消した。マルスはそのまま姿を消すとは思わず、驚いた。てっきりニーナの傍にいてくれるものだと思っていたのに。
「ニーナ様、このままでは心も身体もどうにかなってしまいます」
「マルス王……?」
 真剣な表情でそう話すマルスにニーナは戸惑いを隠せなかった。
「ニーナ様が無理していらっしゃるのは皆気付いていらっしゃいます、とても心配しています。勿論私も」
「……シーダ姫……」
 つい以前の呼び名で呟くニーナ。
「……彼は海を越えた西の大陸に向かったと」
「!」
 マルスの突然の言葉に動揺を隠せなかった。びくりと肩を震わし、目を見開いてマルスを見詰める。
「ニーナ様、私達のことなら心配はいりません。ニーナ様のお好きなようになさってください。私はこれ以上ニーナ様に我慢させたくない、無理して笑って欲しくないのです」
「マルス王……わ、私は大丈夫、です………」
「全然大丈夫じゃないわ、ニーナ様!」
「リンダ……?」
 突然横から聞こえたリンダの言葉にニーナは驚いて振り返った。そしてリンダだけではない、ミディアも彼女の前に一歩前に進み出て、痛みに堪えたような目で訴えた。
「私もニーナ様のそのような笑顔を見ているのは辛いです」
「ミディア……」
「……ニーナ様、アルテミスのさだめなんて悲しい運命に負けないで下さい。最初から、諦めないで下さい。運命なんて人が作るものです、そんな言葉に負けないで下さい。アンリやアルテミスのような悲しい思いをニーナ様にさせたくない。世界は変わったのです、いえ、変らねばならないのです。何より私はもう二度とそんな悲しい目に遭う人を作らないと心に誓ったのです」
「……マルス王……でも……」
 自分には幸せになる資格などない。ハーディンを苦しめ追い詰めてしまった自分に。それに彼は言ったのだ、あのとき。確かにニーナは聞いた。彼には帰るべき場所があると、待っている者がいると……。その言葉が耳にこびりついて離れず、ニーナを縛っていた。
「ニーナ様、一度……一度くらいきちんと話し合われた方がよろしいと思います」
「エリス様……」
 エリスがゆっくりとニーナに近づいて、優しくその手を握った。柔らかな温もりに思わずニーナは目頭が熱くなる。
「ゆっくりと話す暇も無かったのでしょう、それではニーナ様が縛られてしまうのも仕方ありませんわ。その結果、どうなってしまうか私にはわかりませんが、……でも何もせず、このまま諦めてしまうよりきっとニーナ様にとってもよろしいかと思います」
「そうですよ、ニーナ様。このところ無理しすぎですし、よい気分転換にもなります」
「マリク……」
 エリスの背後から優しい目をしたマリクがにっこりと笑う。
「ニーナ様、私、ニーナ様をまるで本当のお姉様のように感じておりました。ニーナ様には幸せになって頂きたいのです。私に何かお手伝いできることはありませんか? 何でもおっしゃってください! 我慢などせずに……」
「シーダ姫、ありがとう……私もシーダ姫のこと妹のように思っていました……」
「あ、ずるい……私もニーナ様のことお姉様だと思っていますのに……」
 思わずぼそりと呟いてしまったリンダに周囲の視線が集中し、慌てて口を手で覆ったが時既に遅く、忍び笑いが幾人からか零れた。
「ありがとう、リンダ。勿論リンダも私の大切な妹です」
「は、はい……」
 ニーナの花が綻んだような笑顔と言葉に照れながら返事をするリンダにやれやれ、とマリクは心中で呟いた。
 ニーナは胸がいっぱいだった。こんなにも周囲に心配をかけていた自分の不甲斐なさに心底情けないと思いつつ、だがそれ以上に皆の優しさに感動で胸が詰まり、何か言いたいのに言葉にならなかった。嬉しくて涙が溢れるのは久しぶりで、ただ、目尻に溢れる涙を堪えるだけで精一杯だった。
 どうして、こんなにも自分の周りの人間は優しさと思いやりに満ちているのだろう。ニーナは感謝した。いくらしても足りなかったが、それでもせずにいられなかった。
「ニーナ様の道中の護衛は俺が引き受けましょう」
 それまで背後で様子を見守っていたジョルジュがおもむろに口を開いた。
「ジョルジュ?! ……でも、アカネイア自由騎士団を結成したばかりでしょう」
「アストリアが俺の代わりをしてくれると言ってくれました。俺一人暫く抜けても大丈夫です。それに俺はニーナ様に忠誠を誓っております、それは今も変わりません、ニーナ様の為に出来ることをしたいのです」
「それなら、私だって! ニーナ様の護衛なら私が……!」
「おいおい、ミディア、お前お腹の赤ん坊とニーナ様両方をお守りする自信があるのか?」
「……」
 ぐっとミディアは言葉を詰まらせる。だがまだ納得できない様子に、ジョルジュは内心こっそりと嘆息しながら、続けた。
「それにアストリアを支えるのもお前の役目だろう、安心しろ。命に代えても俺がニーナ様をお守りする」
「わかったわ……ニーナ様を絶対に護ってね、ジョルジュ」
「ジョルジュ、ミディア……ありがとう……本当にありがとう」
「ニーナ様、ニーナ様を思っている私達をどうか、忘れないで下さいませね。皆、貴方の幸せを願っているのです……それをどうか忘れないで……。きっとハーディン様もニーナ様の幸せを願っていると思います。最後に彼は犯した罪を悔い、貴方に詫びてらしたのでしょう……彼の分もどうか……」
「エリス様……っ」
 ぎゅっと手を両手で包まれ、ついにニーナは涙が零れてしまった。一度流れ出した涙はせきを切ったように溢れだし、頬に幾筋もの跡が走った。肩を震わせたニーナをエリスは優しく抱き締めた。それはニーナにとって失われた母親のぬくもりに感じられ、そのままエリスの胸に顔をうずめて、静かに泣いた。


「う……っ、ひっく……ふえぇ……っ」
「え、リ、リンダも泣いてるのか……?!」
 ボロボロと横で涙を流すリンダにマリクは驚いて頭を掻く。
「だって、ニーナ様が……っ、泣いて、おられて……! よ、よかった……っ……」
「……ここにもいるぞ、大泣きしてる奴が」
 ジョルジュの言葉に後ろを振り返ったマリクは、アストリアの胸に顔をうずめてしゃくりあげているミディアと、それと同様にマルスに肩を抱かれて泣いているシーダの姿を見て少し呆然とした。
 これはニーナ様が旅に出られている間が思いやられる……、そう思ったのはマリクだけでないはずだ。