薔 薇 想 歌   




 アリティアに着くと、そこは既に各国から多くの人間が祝いに駆けつけていた。城下町は勿論王宮の周 りも新国王とその王妃を一目でも、と人で溢れかえっていた。今日の主役の一人でもあるシーダはその支度に追われ、マルスも各国から祝いに駆け付けた、かつての同志達の出迎えに追われていた。
ニーナはアカネイア王家の最後の一人として丁重に出迎えられ、ひとしきり挨拶を交わしたあと、客間 に通された。ここに来るまでの人々の歓喜と希望に満ちた活気を思い返し自然と顔が綻ぶ。何よりも、弟・妹のように思っていたマルスとシーダのめでたい日なのである。
 まだ式典まで時間はある。ニーナはソファに座り、出された紅茶の芳香を味わっていた。するとぱたぱたと軽快な足音が近づき、扉が開く音と同時に「ニーナ様!」と元気な声が部屋に響いた。その声にニ ーナが振り向くと同時に、がばりと抱きつかれる。
「久しぶりね、リンダ。元気にしていた?」
 いつものことなので慣れてしまったニーナは、自分の胸に抱きついている――長いブラウンの髪を後ろで 一つにくくり、それをまるで子犬の尻尾のように振りながら大きな瞳を輝かせているリンダを見下ろしにっ こりと微笑んだ。
「はい!」
 リンダは嬉しそうに返事をする――抱きついたまま。
「パレスの魔道院で一生懸命働いているそうね、大変?」
「はい、でも皆と一緒に働くのはとても気持ちいいです! 私、今日ニーナ様に会えると思って楽しみにし ていました」
「ふふ、私もリンダに会えて嬉しいわ」
「ニーナ様、お時間がある時にでも魔道院に是非遊びに来て下さいね、マリクやエリス様も皆喜びます」
「ありがとう、迷惑でなければ私も行きたいと思っていました」
「迷惑だなんて! 絶対来て下さいねニーナ様、約束ですよ!」

「――リンダ、そろそろ離れなよ、ニーナ様に失礼だろ」
 扉の方に目をやると、やや呆れたような様子のマリクとそれを見てくすくす笑っているエリスが佇んでい た。
「ニーナ様、お久しゅう」
「お久しぶりです、ニーナ様。……すいません、リンダの奴、ニーナ様がこちらにいらっしゃると聞いた途端 突然走り出して……」
「何よ、マリク! だってニーナ様に会うの久しぶりなんだもん」
「こちらこそお久しぶりです、エリス様、マリク。お会いできて嬉しいですわ。……ふふ、私もリンダに会えて嬉しいのです、ですから構いませんわ」
「ほーら、マリク! これが私とニーナ様の挨拶なんだから邪魔しないでよね」
「……ニーナ様、甘やかしすぎはいけませんよ……」
 いつものマリクとリンダのやりとりにニーナとエリスの口からくすくすと笑いが零れた。続くようにしてか つての同志達が次々と集まってきた。マケドニアからはカチュア、パオラが天馬に乗って、レナ、ジュリア ンは修道院を今日だけは代わりの者に任せ、仲良く寄り添うにやってきた。ミネルバ、マリアも一緒である。カダインからはウェンデル、エルレーン、アカネイアからは自由騎士団を創立したばかりのジョルジュ、ミディア、アストリアなどが駆け付けた。魔道院に留学中のユミナも一足先にアリティアにてマルスの後見を受けている弟、ユベロのもとへ来ていた。
「ニーナ様、今日はお迎えに上がろうと思ったのですが……」
 談笑中、ジョルジュが控えめがちにニーナに話す。
「ジョルジュ達は皆、アカネイア自由騎士団創立したばかりで忙しい身でしょう。私のことは気になさらな くても大丈夫ですよ」
 穏やかにそう話すニーナにジョルジュは複雑な表情を浮かべる。彼はニーナが元気がないことを見抜 いており心配しているようだ……そしてそれは彼だけではない。ジョルジュの後ろからミディア――ニーナの幼い頃からの側近である――もおずおずと声をかける。
「……ニーナ様、お久しぶりです。申し訳ありません、ニーナ様のお傍にいることが出来ず……」
「まぁ、ミディア。貴方が気に病む事ではありません。それよりミディアこそ身体のお加減はいかがです か? もう貴方一人の御身体ではないのですから無理は禁物ですよ」
「はい……」
 少し気恥ずかしそうにミディアは返事をした。戦争が終わった後、ミディアはアストリアと結婚した。そし てお腹に彼との子供がいることも判明したのである。アカネイア自由騎士団に参加していたが、今はアストリアの強い要望で無事出産するまで剣を持つことを許されず過ごすようだ。お腹も目立ち始めているのが見てとれる。幼い頃からニーナの側近として過ごした彼女はニーナに心酔すると同時に、彼女を大切に思ってきた。パレスにニーナが留まると聞いて今までのように側に付いていたかったが、本人に自分のことは心配いらないから、それよりもジョルジュ達の手助けをしてくれ、と言われたのである。ミディアはニーナのことが気掛かりではあったが、本人の希望なら、とそれを受け入れた。事実、ニーナのことが無ければ誰に言われずとも参加したであろう。

 マルスとシーダの挙式は滞ることなく進み、人々は皆、世界を救った英雄の晴れ姿に酔いしれた。純白のドレスに身を包まれたシーダはまるで天使のようだと人々は口にする。そして婚礼を無事終えたあと、アリティア新国王となったマルスは威風堂々とアカネイア連合王国の盟主としてその大役を務めると民衆の前で宣言した。アカネイア王家に代わり大陸をまとめ、荒廃した土地を皆で協力して癒していき い、と。それには各国全てが一つになって協力し合わねばならない、マルスの誠心誠意のこもった言葉は人々の心によく響いた。滅亡したグルニア王国はユベロ王子が成人するまでマルスが預かることに なった。ニーナもアカネイア聖王家の最後の王女として、大陸をマルスに全てを委ね、自らは影ながら彼らの手助けをしていきたい、とそう告げた。ニーナの淡い微笑と華奢さが、彼女の持つ儚さをより一層引き立たせ、人々はその美しさに暫し見惚れていた。だが、そんな彼女を心配そうに見詰める者は少なくなかった。

「ニーナ様、また少しお痩せになられたわ……元々細い方なのに。あれ以上痩せたら死んじゃう。笑顔も無理 して作ってるし、見ていて痛々しいよ……」
 リンダの憂いと悲しみを帯びた言葉に傍にいたマリクやエリスもそっと上座にいるニーナに視線を向ける。無事に式典は終焉を告げ、続く宴は最高潮であった。ニーナはそんな人々の様子を穏やかな微笑を 浮かべながら静かに見守っている。
「うん、以前から笑顔は儚げだと思っていたけど……それは辛い戦争中だからと思っていた……」
 マリクはそっと目を伏せる。マルスやシーダからニーナとカミユの悲しい運命を聞いた。“アルテミスのさだめ”のことも。そして、英雄戦争において一緒に戦ってきた仮面を被ったシリウスという名の騎士が、 暗黒戦争において自分達が討ち破ったあのグルニア王国の黒騎士団率いる知将・カミユ本人だということも。死んだと思われていた彼はなんと生きていたのだ。マルスは気付いてはいたようだが、マリクは全然わからなかった。そもそもカミユという存在をよく知らなかったからもある、名前自体はこの大陸では知らない者の方が珍しいであろう、七王国の中でも1,2を争う強国グルニアの精鋭部隊、黒騎士団(ブ ラックナイツ)の将軍。そして、アカネイアの聖都パレスを陥落させたのも彼である。その彼がまさかいつのまにか自分達とともに戦っていたなんて思いもしなかった。それよりも驚いたのがニーナとの関係であ る。
 だが、彼は操られていたニーナを救いだしたあと、いつのまにか姿を消していた。マルスからそれを聞いたあと、不思議に思った。何故彼は姿を消す必要があったのだろうかと。戦いは終わったというの に、何よりニーナと相思相愛だったのではないか。何故傍にいてあげないのだろうか……結局、ニーナ様 の命を救ったが、心までは救ってはいない。それはニーナをよく知る者ならば一目瞭然だ。日に日に儚さが増して行くニーナにリンダ達は気が気でならなかった。
「ニーナ様付きの女官に聞いたの。ニーナ様、毎朝瞳を赤くさせていらっしゃるって。女官が来る頃にはいつも目覚めていらっしゃるようで夜もきちんと眠れていらっしゃるのかどうか……」
 いつのまにか傍に来ていたミディアもリンダのその言葉に辛そうに顔を歪める。彼女もリンダに負けず劣らず、ニーナを慕っているのだ。せめて傍に付いていたいのだが、ニーナは周りに心配をかけるのを 嫌がり、大丈夫と口癖のように言う。このところ、彼女は戦争で親を失った孤児達の為に色尽力しているらしく、その上荒廃した土地に慰問に赴いたりと多忙であった。罪悪感からか、それとも忙しさに身を委ねたいのか。その両方かもしれない。復興に努める人々にとってアカネイア聖王家の最後の生き残りであるニーナ王女の慰問は何よりの励ましと慰めになり大いに喜んでいた。だが、これではニーナの身体の方がどうにかなってしまう。
「やはり……もうこれしかありませんわね……」
「エリス様……?」
 英雄戦争を経てやっとマリクと想いを通じ合ったエリスは、ニーナが愛する人を忘れられない苦しみを痛いほどわかっていた。ニーナは一度愛する人の死という残酷な別れを味わったのだ。永遠の決別……時しか彼女を癒せないと思った、おそらく彼女も忘れようと努力しただろう、だが忘れようとすればするほ ど、想い出はより美しく鮮明に頭にこびりつくかのように残ってしまう。エリスは自分と置き換えてみた。自分がマリクを失って耐え られるのかどうか、否、考えるだけでも身が凍りつく思いだ。メディウスに囚われていた時も、幾度となく恐怖した、もう二度とマリクに会うことができないのかと。ニーナはもう永遠に会えない、と思ったのだ、だが愛した人が実は生きていたと知ったら……自分なら喜びに打ち震えるだろう。だが、ニーナの表情は日に日に陰を落としていった。そして彼は姿を彼女の前から消していたという。それを聞いて大体想像はついた。他人がとやかく言う問題ではないとは思うが、このままではニーナはどうにかなってしまう。リン ダやミディアは勿論エリスも彼女の為に何かして上げたかった、同じ女として。
 おもむろにエリスはマルスとシーダのもとへ近寄って二言三言告げ、それを聞いたマルス達も頷いた。
「……何を話していらっしゃるのかしら、エリス様」
 リンダが心配そうにぼそりと呟いた。