薔 薇 想 歌 |
あなたは私を白い薔薇と呼んだ。 見かけは清楚だが、内に秘めた情熱が人々に勇気をもたらすのだ、と。 全てはあの燃えさかる炎の中から始まり… 紅く、紅く、全てを焼き尽くした炎の中、全てが終わったと思ったあの瞬間に私は初めて本当の生を得たのだ。 それまでの生は、光に満ち憂いも心の渇きも飢えも知らない唯輝きに溢れた時間ではあったが、それは今思えば無知故の空虚な、人ではなかった。まるで天使のような日々だった。 ――行かないで……私を、置いて行かないで……。 心も身体も疲弊し悲鳴を上げていた、徐々に薄れ行く意識の中でそれに抗うかの如く、呟きを繰り返していた。 何度も繰り返される呟きは決して届かないとは知っていたけれど。 光が瞼に刺さりその眩しさが熱く痛みすら憶え、覚醒が近いのだと朧げに悟った。目の前に持ち上げた掌で光を避け、うっすらと瞼を開けた。天蓋付きのベッドの中、腰まで届く緩やかなウェーブを描いた金髪、琥珀色の瞳、愛らしい人形を思わせる―アカネイア聖王家最後の生き残りであるニーナ王女は気だるそうに上半身を起こし、目頭を擦る。目の奥にゴロゴロとした異物感を感じ、頬を触ると涙の跡がくっきりついていた。 また眠っている間に泣いていたらしい。既に慣れてはいたがやはり不眠からくる身体の重さが更なる憂鬱を誘う。きっと瞳も赤いのだろう。周囲の人間には心配をかけたくないので無理して笑顔を作っているせいか、睡眠といった無意識の領域にその皺寄せがどっとやってくるのだ。溜息を吐き、女官が来る前に顔を洗おうとベッドから重い手足を引き摺った。器に水を注ぎ、手ですくって顔を洗った。冷たい水の気持ちよさに幾分憂鬱が晴れる。 いつもの夢。悪夢とも呼べるそれは毎夜のようにニーナを苦しめた。後に「英雄戦争」とも呼ばれる激しい戦いは終結し、平和を取り戻した今となっても。 そう、人々は希望に包まれ平和を誓い再興に燃えている。人間を憎み、滅ぼさんとした邪悪な暗黒地竜メディウスは滅び、封印の盾によって地竜族も再び蘇ることはない。アカネイア大陸はアカネイア連合王国として一つとなり、アリティア国王となったマルスを盟主として新たな一歩を踏み出そうとしていた。アカネイア聖王家の生き残りであるニーナもマルスこそがこの大陸を治めるのに相応しいと賛同し、自らは陰ながら助力することを望んだ。己――ひいてはアカネイア王家は罪を犯しすぎた。これからは再興に協力しながら静かに生きようと思った。夜毎、かつて唯一愛した人を求め続け、けれど悲鳴にも似た呟きも、伸ばした腕も届かない苦しみを味わおうとも、それは当然の報いだと思った。 夢、ではなくあの呟きは、敵でありながらずっと自分をパレスで匿い続けてくれた愛しい人を罪人にさせてしまったあの日に実際に口から出たものだ。 7年前、アカネイア王国をドルーア帝国と同盟を結んだグルニア・マケドニア両軍によって滅ぼされ父も殺され、僅か数人の側近とともに城の端に追いやられ絶望し死を覚悟した自分に、「生きねばならない、アカネイアの希望として」と新たな生を吹き込んでくれた彼の人…今は亡きグルニア王国の精鋭部隊・黒騎士団(ブッラクナイツ)を率いる若き知将・カミユは、ずっとパレスで自分の身を帝国の厳しい追及から護ってくれていた。二年もの間。だが痺れをきらした帝国はニーナを捕らえる為、ついに軍隊を動かした。彼は己が罪人となるにも関わらず、自分を必死で帝国軍の追撃から護り、オレルアン国のハーディンの元へ送り届けてくれた。だがその為に彼は全ての権利を剥奪され、ドルーアの地下牢に幽閉されてしまったのだ。 あのときの帝国軍の追撃は激しく増援は無限とも思えるほどで。最後まで彼と一緒にいたかったけれど、自分が捕まれば彼のしてきたことが水の泡になってしまう。ニーナは必死で闇の中を走って逃げた。連絡を受け軍を率いたハーディンのもとへ辿りついたときには疲弊と安堵のためその場で気を失った。そのときの呟きが毎夜夢の中で繰り返されるのである。カミユと離れ離れになってからは頻繁に見ていた夢、彼を一度失ってからは酷くなったような気がする。時が癒してくれる、と誰かが慰めてくれたような気がするが、結局、自分は駄目だった。どうやっても彼を忘れる事など出来なかった。暗黒戦争が終わり、アカネイア王家の義務としてハーディンを国王として、自分の夫として迎えたときも。自分を想ってくれるハーディンに悪いと思いつつも。今までハーディンは自分を守ってくれていた。だから心の何処かで甘えていたのかもしれない。でもそれが彼を追い詰め、結果自分を想い護ってくれた存在までも悲惨な死に追いやってしまったのだ。償っても償いきれない罪。 以前の彼からは想像もつかないほど変ってしまったハーディンは、酒に溺れニーナを閉じ込めた。ニーナはハーディンの変り様に酷く動揺した。以前は優しく、穏やかな人であったのに。恐れすら感じるようになり、それがまた彼の怒りに触れ、メディウスのもとへ送られ魂を砕かれてしまった。それからはずっと深い闇の中にいたように思う。永遠とも呼べる永い間、ニーナは罪悪感と闇の恐怖に侵食され続けていた。だがそこから連れ戻してくれたのは―― ――コンコン。 突然の扉を叩く音にニーナは肩をびくりとさせる。ついで「失礼します」という女官の声が聞こえた。 「おはようございますニーナ様、準備の方は宜しいでしょうか」 ニーナは「ええ」と返し、いつもの人々を魅了する微笑を浮かべた。 今日という日にこんな憂鬱は似合わない。 ニーナは気分を切り替えようと瞠目し、窓の外を眺めた。外は雲一つない青空が広がり、小鳥のさえずりが聞こえる。今日はアリティア王国の王子マルスとタリス国の王女シーダの結婚式が大陸をあげて行われる日であり、同時にアカネイア連合王国の正式な建国日でもあった。マルスはアリティアの国王として、そしてアカネイア連合王国の盟主としてこれから大陸の復興に務めなければならなかった。だが、ニーナはマルスなら大丈夫だと思った。辛く厳しい戦いの中、多くの仲間とともに成長し今やアンリの再来と呼ばれることもなくなった――それはかつての英雄アンリの存在を超えたことを証明していた。少年の面影を残しつつも瞳の中には強い意志と何より思いやりと優しさに満ちていた。そして彼には愛する存在――タリスの王女シーダがいる。愛らしく明朗快活なその少女はいるだけで周囲を癒す力があった。彼らならどんな困難も一緒に支えあって乗り越えていけるとニーナは確信していた。 自分の出来ることは力の限り彼らの手助けをすることだ。ニーナは準備を整え、アリティアへと向かった。 |
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