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薔 薇 想 歌   






真っ赤。
紅い、紅いわ……――
焦げる臭い。
ああ、城が焼けているのね……

何もかもを焼け尽くした炎。




 今、わかった。
 彼は結局、私を王女として以上に見てくれることはなかったのではないか。
 大切だと言ってくれたのも全て私が唯一の王家の血を引く者だから。
 彼にとってではなくて。ただ帝国に立ち向かう為の。
 だからこそ彼は騎士の高潔さをもって私に一切触れてはくれなかったのではないか。
 王女とそれを守る騎士。
 それ以上にはどうしてもなれなかった。彼も私が王女であることを望んでいて、何よりそうでなければならなかったから。

 けれど今の私は最早王女とは呼べない……彼が望んだような存在にはなれなかった。それを彼はどう思うだろうか。もう王女ではない私は、彼にとってはとるに足りない存在になっているのだろうか。
 それが、怖い――




「……ナ! ニーナ、しっかりしろ!」
 遠くから、次第に近くなる声に導かれるようにゆっくりと瞼を開くと、目の前に求めていた人の顔があった。カミユは炎の中からニーナを救い出し、燃え上がる建物の前でニーナを抱いて意識の虚ろな彼女に向かって必死に声をかけていた。
「カミユ……どうして……ここに……」
 ぼんやりとした意識の中、そう呟くのが精一杯だった。
 喉の奥が熱くて、痛い。けほ、と咳をついた。
「ニーナ、なんて無茶を……!」
「……カミ、ユ……」
 張り付いた金の髪を除くように頬を撫でながら、カミユは彼にしては珍しく張り上げた声で、己の感情をあらわにしていた。そんな彼につられるようにニーナも己の気持ちを徐々に吐露していく。目の前の存在が本物であろうと、たとえ夢の中でも構わなかった。
「カミユ……私は……王女という立場が憎くて、でも同じくらい大切だった……」
「ニーナ……? ……まさか、記憶が」
 はっとして問うカミユをじっと見上げながらニーナは言葉を続けた。
「皆の希望になりたかったけれど……貴方の望むような王女になりたかったけれど……出来なかった……私、私はもう王女ではないの……」
 目の前の男をどうしても忘れることができなかった己と、王女の責務を果たせなかった、二つの罪悪がニーナを苦しめ続けていた。どちらの思いも己を占める重要なもので、それらが自分を形成しているといってもよかった。だけど、どちらも同時に無くしてしまって。どうしようもない空虚感と、最早取り戻すことなど不可能だという事実が、辛かった。
「いや、貴女は皆の希望だった……それはあの時戦った者なら皆感じている」
「でも……王女でなくなった私は……」
 それ以上は怖くて言えなかった。痛いほど自覚していても、どうしてもその先を口にすることに勇気が必要だった。沈痛そうに眉を歪めるニーナにカミユは唇を噛み締める。

「……すまない。二ーナ……たくさん辛い思いをさせた。私は臆病な人間だ。己の決めた道から外れることが怖かった。感情のまま動くのは愚かだと、己の立場ではそうしてはいけないと自制することが常でありそれが当然のことであったからだ……」
「……カミユ……」
 まだ意識がはっきりしない。ぼんやりと彼の言葉を反芻しながら、ニーナはカミユの表情をじっと見詰めていた。
「二ーナが“大切”なのはアカネイア王家の唯一の生き残りだからと自分に言い聞かせることしかできなかった。あの頃は……。そうしなければ抑えられなかった……」
 この想いは。許されぬものだと。
 あの頃も少女はまっすぐに自分を見つめてきた。恐れずに挑むように。けれど同じように返すことは出来なかった。
「それは今もずっと続いている……だがもうそれをする必要もないのだろう。戦争は終わり、世界は変わった。お互いの立場も……」
「……カミユ……?」
 カミユの手が二ーナの頬―涙の残るそれにそっと触れる。両手で頬を包んで、顔を上げたニーナの柔らかい唇に自分のそれを重ねた。
 優しく啄むようなキス。
 一度離れ、それを名残惜しく思う間もなくまた唇を塞がれた。今度は先ほどのような優しく触れるようなものではなく。吐き出す息すら全て奪われるような深いそれに二ーナは何も考えることができなかった。ただされるがままに身を任せて。頬を包んでいた手の片方が背中にまわされ力の抜けた身をぐいっと引き寄せられた。
「……っん……」
 どうしていいかわからず戸惑いを隠せない二ーナの舌を絡めとり、食む。漏れる声の甘さと同じようにニーナの唇は甘くて。微かに涙の味も混じっていた。ともすれば熱情に流されそうになるのをどうにか抑えてカミユはゆっくりと唇を離す。潤んだ瞳と赤く濡れた唇を見詰めながら。
「……言葉では上手く伝える自信がない……だが、二ーナがこの地にいるのを嬉しく思う気持ちがあるのは事実だ」
「カミユ……」
 声が震える。これは夢だろうか。そうでないことを確かめたくて二ーナはカミユの唇にそっと指先で触れた。
 柔らかい感触。温かい。自分の背中にまわされた腕も、頬を包む掌も温かくて優しい。
「私……あなたに会いたかったの……ずっと……」
 当初の想いを吐いた。それだけの為に海を越えてやってきて、でも伝えることができないと知って奥底に封じた言葉。それをやっとのことで紡いだ。震える声で。
「あなたが死んでしまっても……ずっと忘れられなくて……でも忘れなければならなくて……でもやっぱり、無理だった……。そのせいでハーディンを追い詰めてしまった。メディウスのもとへ送られて、闇の中に閉じ込められて……。恐ろしくて、でも当然の報いだと思った……アカネイアを滅ぼされて、父と母が無残に殺された時も同じ……。……いつも闇の中から救い上げてくれたのはあなただった……あなたを忘れることなんて、出来ない。あなたのおかげで私は生きてこれたのに……忘れたくなんかない……」
「二ーナ……」
「カミユ……本当に……あなたとの思い出も、あなたへの想いも……私は忘れなくてもいいのですか……?」
 涙の濡れた瞳、震える声とは裏腹に強い意志の光を放っていた。何かを覚悟したような、祈りにも似た、そんな表情。
 初めて会った頃のあの強いまなざしだ。自分はこの瞳に惹かれていた、とカミユは改めて確信した。儚げな印象なのに、こんなにも抱く体は細く華奢であるのに、彼女は強かった。こうと決めればてこでも動かない頑固なところがあった。
「ああ、どうか忘れないでいてくれ」
 この瞬間の二ーナの表情を永遠に忘れることはないだろう、と思った。

「ニーナ、私はグルニアが、祖国が何よりも大事だった。滅びをともにし、一度は死んだ身だ……、黒騎士団も、かつてのグルニア王国も崩壊した」
「……ええ……」
「だが、あそこにはまだ多くの民が生きている。忠誠を誓ったグルニア王家も途絶えてはいない……これからは彼らの復興の手助けをしたいと思っている。
 ……出来れば貴女に傍にいて欲しい」
 少し逡巡しながらもカミユは真っ直ぐ二ーナの見詰め、そう言葉にした。