薔 薇 想 歌   



「……ここ、は」
 村を出て、進むべき道と反対方向に歩き出したニーナにはじめは訝しんでいたカミユであったが、黙って彼女のあとをついて行った。さらさらと清らかな音に導かれるように、辿り着いたそこは川原であった。
 その中にあって、一際目を引いたのは咲き乱れる赤や白の野薔薇。
「ここで、私は倒れていたそうです……野薔薇に包まれるように。シルクさん達が見つけて下さって、名前の思い出せない私を「ロザリア」と呼んで下さいました。……薔薇という意味が含まれているそうです」
 静かな表情で水面を眺めながら話すニーナにじっと耳を傾ける。
「……カミユさん、とおっしゃいましたね」
 ややあってこちらを振り向いた琥珀の双眸は、やはりまだ頑なさが残っていた。
「私のことを教えて下さいませんか」

 その言葉にカミユの心は揺れた。
 記憶が無く不安で、気が逸ってしまうのは仕方ないことだ。だが、一度に大量の情報を与えたところで、混乱に陥るだけなのはわかっていた。慎重に、僅かに表情を強張らせながら言葉を選ぶ。
 目の前の金色の女性は――
 かつて、自分が希望を託し護った少女。
 出来ることならば最後まで、傍にいて護りたかった存在。
――彼女を護る剣で在りたかったと、思う……はじめから。
「……貴女は、東の大陸アカネイア王家の唯一の生き残りの王女だ」
 だが、出てきたのは淡々とした、事実のみの言葉だった。
「王女……私が……?」
 予想通り、驚いて目を見開く様子にさらに揺れた。

「!? どうした……?」
「え……? あ……」
 言われて初めて涙が頬を伝っていたのに気付いたのか、僅かに動きが固まり、おそるおそる指先で涙の軌跡を辿る。
「何故……」
 自分が泣いてしまうのかわからない。
 ただ、その言葉を目の前の男の口から聞くことがとても辛かった。
「ごめんなさい……」
「ニーナ……? 謝る必要などない」
「いえ……私あなたに謝らねばならないような気がしてならないのです……本当にごめんなさい……」
「……ニーナ」
 彼女の沈んだ表情を見て、ちくりと胸が痛む。彼女の笑顔を最後に見たのはいつだったか。それすらおぼろげで、自分はいつも、彼女を悲しませてばかりだと今更ながらに痛感した。



 * * * *



「……あの、カミユさん」
 馬上からニーナが、手綱を引いて歩くカミユを見下ろして控えめに声をかけてきた。
「うん? ……もう大丈夫なのか」
「はい、ありがとうございます。それより……」
「どうした」
 言い淀むニーナを不思議そうに見上げる。
「……その、私だけ馬に乗っているというのも……」
 歩きます、と言外で訴えるニーナに思わず苦笑が漏れた。
「はは、そんなことは気にしなくていい。それに、この道は女性には歩き辛い」
「……そう、ですか……」
 先程泣いてしまったせいか、更に気を遣うニーナにカミユは微苦笑を浮かべながら馬を引く。そんなカミユの横顔をそっと見つめながら、
「……カミユさんは」
 ぽつり、と静かに声を降らす。
「カミユさんは、騎士様なのですか」
「……そう、見えるのか」
「はい、雰囲気からなんとなく……。先程の、金色の髪を後ろで括った方も騎士様ですよね?」
「ああ」
「教会を出るとき、突然目の前で恭しく跪かれてしまったときは驚いて固まってしまったのですけれども」
 そう言ってくすり、と微かに空気を震わした。
「まるで、物語の中に出てくるお姫様のようだと、思ってしまったのです。そうしたら……」
「……貴女は、本物の姫だ」
 生真面目に答えるカミユに、ニーナは瞳を瞬かせて、ふわりと表情を緩ませた。
「……」
「そう。貴方がそうおっしゃって。正直……普通ならとても信じられない言葉なのですが……不思議ですね。あなたの言葉は、とても強くて……疑うことなど出来ませんでした」
 久方ぶりに、本当に長い間、見ることの叶わなかった二ーナの柔らかな表情と言葉に、カミユは咄嗟に言葉が出なかった。
「……ありがとう、ニーナ……」
 漸くそんな容易い一言が出る。
「いいえ。こちらこそありがとうございます」



「――ところで、どちらに向かうのですか」
「ああ、ここから港に行って、船で海を渡る。今日はとりあえずこの森の先の村で休むつもり……――!」
「? どうかしたのですか……、きゃっ!」
 がくり、と身体が上下に少し揺れた。
 カミユが急に馬上に跨ったのである。素早くニーナの後ろに飛び乗り、手綱を強く引いて態勢を整えた。それに馬が少し驚いて嘶き、横向きに座っていたニーナも突然のカミユの行動に反応できず、思わず裾を掴んで堪えた。少し揺らめいたニーナの身体を手綱を握る腕で支えながら、カミユは辺りの様子を窺っていた。
「……」
「……? カミユさ……」
 表情が険しくなっているカミユの胸元から視線を上げ、もう一度どうしたのかと問おうとした時に遠くから馬の蹄の音が聞こえた。どうやら、凄い速さでこちらに向かってくるらしい。
「……まさか、」
 ニーナを狙っているあの暗殺者だろうか。
 ちらりと浮かんだ考えにかぶりを振る。こんな正面から堂々と、というより無謀に突っ込んでくるとはどう考えてもありえない。


「きゃぁあぁあああっっ!!」
 どどど、と地面を打ち叩く蹄の音とともに少女らしき悲鳴が森に木霊する。
「何で、止まらないの〜〜っ!お願い止まって〜!」
 

「! あれは……!」
 信じられない。
 到底信じられないが、暴走した馬に乗っている――しがみついているといった方が正しい――少女は英雄戦争において共に闘った、ニーナが保護したというリンダだった。
 一瞬、呆気に取られるカミユ達の前方を横切るその瞬間、
「……!」
「あ……っ!」
 お互い、目が合った。

「あーーーーーーーーっっ!!!!!」
 リンダは暴走する馬にしがみつきながらも、視線はカミユを、というよりその前にいるニーナを捕らえたまま、絶叫するしかなかった。そしてそのまま遠ざかる。
 すぐさまカミユは馬の腹を蹴り、ニーナに自分に掴まるよう言ってリンダの乗る馬を追いかける。
「背を伸ばして、馬の腹を圧迫しろ! 早く!」
 カミユがリンダの馬に飛び移れば一番早く事は済むのだがそれでは、必死に自分に掴まって堪えているニーナが今のリンダの二の舞になってしまうのは明白だ。横に並びながら、カミユは数度指示を出し、ようやっと、馬が止まったときにはリンダもニーナも疲労困憊で顔面蒼白だった。

「……一体……」
 二人を馬から手を貸して降ろし、鬣を撫で馬を落着かせながらカミユは溜息を吐いた。そのとき遠くから「お〜い!」と呼びかける声が響いた。
「リンダさん、大丈夫ですか!?」
「いきなり馬とともに消えちまって……って、ん?」

 馬に二人乗りして現れたのは、レナとジュリアンだった。