大陸一の豪槍 







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「あれ?」
 一番最初にそのことに気がついたのは、本隊で弓を構えていた少女──ネイミーだった。
 射手の例に漏れず卓越した視力を持つ少女は、自分の前で繰り広げられる攻防にジッと目を凝らし、もう一度呟く。
「あれ?」
「どうした」
 幼馴染の様子に、横で小剣を片手に警戒に当たっていたコーマが尋ねる。すると、ネイミーは小首を傾げながら、自信無さげに言う。
「変……だよ」
「何が?」
 蚊の鳴くような小声に、コーマがピクリと眉を吊り上げる。それに気圧され、ネイミーはさらに小さな声で言う。
「えっと……減ってない……の」
「だから、何がだよっ」
「う……っ。ぐす……」
「あ〜、泣くなよっ。だから何が減ってないんだよっ」
 ガリガリと少年が頭を掻いて根気強く尋ねると、少女は目に涙を滲ませたまま、
「ぐすっ。えっと、グラドの人たちが……減ってない」
「は?」
「何?」
 その言葉に大きく反応したのは、彼らのやり取りを完全に無視していた銀髪の青年だった。信じられない速射で矢を射続けていたその青年──フレリア王国一の射手であり、第一王位継承者でもあるヒーニアスは、ネイミーの言葉の意味を測って自らも改めてそれを確認した。
 そして。
「よく気がついた」
 言葉短く、彼はその事実をエイリークに伝えに走り出した。

                ※

「どういうことだ!?」
 戦場の中心、グラド帝国軍深く切り込んだエフラムは、自分たちを包囲する敵軍兵たちの姿に眉根を寄せて傍らのラーチェルに問いかけた。ラーチェルは、もともと色白な肌をさらに白くさせて応える。
「これは……死者を操る死霊魔法ですわ。本来簡単な命令を実行するだけの死霊を呼び出す程度だと聞きますが、リオン皇子は皇帝をまるで生者のように操っていたそうですわね。このグラドの兵士たちも、すでに命を失っていたのですわ」
 彼らを取り巻いているのは、すでに彼らによって倒されたはずのグラド兵たちであった。ある者は腕を失い、ある者は頭そのものを失っていながら、陽の完全に落ちた闇夜の中に佇んでいる。
 だというのに、その動きは訓練された兵士のままでよどみなく、槍や剣をエフラムたちに向けて牽制してきている。
 整然とした、死者の軍団。
 それこそが、リオンの用意した足止めのための部隊だったのだ。
 陽が完全に落ちると同時に、倒れていたグラド兵士たちは立ち上がり、少数で攻め込んでいたエフラムたち遊撃部隊を取り囲んだ。少数の利点を生かして自由に相手を掻き乱していたエフラムたちは、今度は圧倒的な数という不利にさらされて、各組が戦場に孤立する形となった。
 一度倒した相手とは言え、戦いの中で体力を削り、持ち込んだ槍の刃も刃こぼれと肉油で切れ味を鈍らせたエフラムは、流れる汗も拭わずに次々と押し寄せてくる死者の群を打ち伏せる。だが、倒れたそばから彼らは立ち上がり、再びエフラムたちに襲い掛かってくる。
「舐めすぎていたか……っ」
「魔物の時間は夜。先ほどよりも、グラド軍の動きは良くなるはずですわ。──ここはわたくしにお任せなさい」
 言うが早いか、ラーチェルは自分たちを包囲する一角に杖の先を向ける。
「灯りよ!」
 一声で、闇に呑まれようとしていた周囲に昼間の輝きが戻り、遊撃隊とロストン聖騎士団は、その光に何事かと視線を向けてくる。
 それを確認し、ラーチェルは戦場の剣戟の音に負けない、よく通る声で言う。
「御覧なさい!」
 そして、今度は常に使うよりも威力の大きな光魔法をグラド軍に打ち込んだ。その魔法は死者の一団を十数体も巻き込んで炸裂し、青白い炎が魔物たちを燃やし尽くす。人間相手では有り得ないその破壊力に、ラーチェルは皆に説明する。
「ようするに、相手が魔物の軍団に変わっただけの話ですわ。ロストン聖騎士団、今こそ不浄の者どもを駆逐なさい。魔王の手勢に、神の鉄槌を下すのですわ!」
「御意! ロストン聖騎士団の底力、見せてやりましょう」
 そのひとことが、押され気味だった騎士団を活気づかせた。あちこちで灯火の魔法や松明の光が灯り、言葉のない死者を相手に意志のある人間の気合の声が響き渡る。
「さあ、わたくしたちも行きますわよ」
「ガハハ。さすがはラーチェル様! お見事な指揮でございますな!」
「すげえ……まともなこと言ったの初めて見たぜ」
 ドズラが巨大な斧を振り回して笑う。その横であ然としながら、レナックも動き出した。確かに、要するには戦い方を魔物相手のものに変えれば良い話だ。その点で、ラーチェルの従者として大陸中を回って魔物退治をしていたドズラとレナックの二人の対応は早い。
 エフラムも、手馴れた彼らの戦いぶりを観察し、自分の戦法を改めた。死者を相手にする際には、まず足を潰すことが有利となる。彼らは致命傷となる傷を負っても倒れることはないが、身体を支える足がなければ移動もままならないからだ。
「よし、このまま一度突破して、本隊に合流する。ラーチェル、頼めるか」
「ええ、お任せなさいな」
 そうして、少女が二度目の強烈な魔法を使おうとした時だ。
 ドズラとレナックの壁を突破した一騎のグラド騎士が、ラーチェルの白馬に体当たりをした。馬同士がぶつかりあった衝撃に少女は慌てて手綱にしがみつき、魔法の詠唱が途切れる。そこに、槍を捨てて抜剣した騎士の一撃が襲い掛かった。
「あ……」
「ラーチェル!」
「え? きゃっ」
 間一髪、エフラムの腕がラーチェルの腰に回されて自分の馬へと引き寄せた。宙に投げ出されるような形となった少女は悲鳴を上げたが、自分の握っていた手綱、そして身を任せてた馬の首に狂刃が食い込むのを見て息を飲んだ。
「はあ!」
 左腕でラーチェルを抱えたまま、エフラムの右手の槍が横薙ぎに死者の胴を打つ。鉄鎧に当たって刃はさらに欠けたが、相手を落馬させるには充分な一撃だ。
「大丈夫か」
「は、はい。助かりましたわ」
 顔を青ざめさせたまま、ラーチェルが頷く。それから、自分を落ち着かせるように深呼吸してから、口元を緩める。
「これで二度目、ですわね」
「油断大敵、だな」
 ニヤリと笑い、エフラムはラーチェルを自らの後ろに座らせた。エフラムの馬の鞍は一人乗り用であるが、小柄な少女一人くらいであれば同乗が可能だ。
「掴まっていろ。一気に駆け抜ける」
「ええ。自慢の槍さばきを見せていただきますわ」
「面白い」
 思わず、エフラムは挑戦的な顔になる。戦場という場所の中にあって、それでもラーチェルの言動は平常を失っていない。良い意味で、心に余裕があるのだろう。
(エイリークなどより、よほど戦場に向いている女だな)
 妹が聞けば、「そういう判断基準ばかりなんですから、兄上は」とため息をつかれそうなことを考えつつ、エフラムは馬の腹を蹴った。
 とりあえず、戦線を建て直すことが彼の仕事なのだ。
「それにしても、おかしいですわね。これだけの死者を動かしているにしては、術者の姿
が見えませんわ。この場合は、リオン皇子でしょうけど……」
「リオンはここにはいない。俺にはわかる」
 背中側、自分の腰にしがみついているラーチェルの疑問に、エフラムは断定する形で言った。虫の知らせとでも言うものなのか、エフラムには戦場にリオンの、兼ねては魔王の意志のようなものを感じることは出来なかった。あるのは、ただ夜の闇に紛れる無機質な殺気のみだ。
「では、どこかに魔力の中継点、死者の長がいるはずですわ。それを滅ぼせば、残りは魔力の供給を失って自壊すると思うのですけど」
「俺は魔法には詳しくないが、敵将を討てということだな?」
「簡単に言えば、そうなりますわね。──ところで、エフラム。あなた、汗臭いですわよ」
「こんな時に何を……」
 真剣な話から一転、辛辣な声音で言われ、エフラムは脱力した。
 ここは戦場なのだ。汗どころではなく、血の匂い、臓腑の匂い、果ては皮製の馬具の匂い、馬そのものの野生の匂い、あらゆるものが交じり合って、混沌とした匂いの漂う場所である。
「君だって似たような──」
 ドズラたちが遅れていないか確認しがてら振り返り、そう言いかけたエフラムは、しかし半分麻痺した自分の鼻に甘い花のような、場違いな香りを確認して口をつぐんだ。
 そのエフラムの態度に、ラーチェルは小首を傾げて彼の背中をぺしぺしと叩く。
「なんですの?」
「いや……君は、良い香りがするな」
「なっ!?」
 不躾に鼻をくんと鳴らすエフラムに、ラーチェルの頬にサッと赤味が差す。思わず、背中を叩く力を強めて少女は声を荒げた。
「い、いやらしいですわ! あなた、もっとレディに対する態度を学んだ方がよろしいの
ではなくて!?」
「わ、悪い」
 確かに雑談が過ぎた。反省したエフラムが顔を引き締めて視線を前に戻すと、ラーチェルは彼の後ろで居心地悪そうに身じろぎした後、
「ドズラ、レナック、もっと急ぎなさいな。引き離されていますわよ!?」
「おっと、これは失敬。ほれ、レナック、もうひとふんばりするぞ」
「すげー理不尽な八つ当たりっぽい気がするのは、俺だけか? 俺だけか!?」
 徒歩で騎馬の移動についていくだけで称賛されても良いのだが、ラーチェルにはそのような常識は通用しない。急き立てられ、レナックは口の中で文句を言いながら一層足を早く動かし始めた。

                ※

 日没から小半刻。
 エフラムたち以外の組も、それぞれに機転を利かせて戦線からの離脱を成功させつつあり、すでにその姿が本隊からも見えるようになっていた。エイリークは兄の奮戦する姿にホッと胸を撫で下ろした。
 が。
「なんでラーチェルが兄上の馬に?」
「ふん。仲の良いことだな」
 皮肉げにそう言ったのは、弓を構えたヒーニアスだ。エフラムを公然と敵対視する青年の言葉に、エイリークは困ったような顔をしたが、
「……連れがいる分、馬の動きが重い」
「ありがとうございます、王子」
 ヒーニアスの放った一条の矢が、エフラムの背後に迫ったグラド兵を一撃のもとに射抜いたのを見て、花が咲くような笑みを見せた。その笑みに、ヒーニアスは肩をすくめて再び弓の狙いを定める。
 ──方向は、常にエフラムを支援出来るように定めて。

                ※

「ヒーニアスだな。さすがにいい腕だ」
 遠くから自分を助けた矢の射手を正確に言い当てて、エフラムは視線を戦場に巡らせた。仲間の撤退はほぼ済んでおり、後はエフラムたちが脱出すれば遊撃部隊は一人の落伍者も出さずにこの戦線を抜けることが出来る。
 しかし、総合的な突破力では遊撃部隊よりも勝るはずのロストン聖騎士団の脱出が遅々として進んでいないのを見て、エフラムは馬の鼻をそちらに向けた。
 直感があった。
「敵将を討ち取る。君はドズラたちとここを抜けてくれ」
「何をおっしゃいますの。あそこにいるのはロストンの騎士ですのよ。わたくしに見捨てろと?」
 力強く言うエフラムに、ラーチェルは心外なという面持ちで言う。
 二人の間に刹那の沈黙が生まれ。
「なら、このまま行くぞ!」
「ええ」
 次の瞬間、エフラムの馬は一直線に駆けていた。蹄が大地を蹴る音が一際大きく響き、エフラムが雄たけびを上げて密集する敵を槍で一掃する。
「おおおおおお!」
 すれ違い様に一騎、その先で待ち構えていた重装兵の兜を打ち砕き二騎、長槍を構えている数騎をラーチェルの光魔法が消し炭に変え、その単騎に跨った二人は止まらずに苦戦する聖騎士団の前に躍り出た。
「迂回。左右から攻め立てろ! 隙があれば本隊と合流!」
「光魔法の使い手はここが見せ場ですわ。がんばりなさい!」
「はっ!」
 ルネスとロストン。二つの代表者の言葉に、聖騎士たちは即座に従う。しかし、一人が警告を発した。
「お気をつけください、エフラム様。我々を足止めしていたのは、ただ一騎の死者なのです。あれは──ぐっ」
「何!?」
 言いかけたその聖騎士の胸から、真っ赤な血に染まった槍の切っ先が突き出した。背後から強烈な一撃を見舞ったその紅の鎧の騎士の姿に、エフラムは唇を噛み締めた。
「貴様……っ」
「エフラム王子……だな……」
 双角をあしらった、頭部全体を覆う兜。その奥から地の底から響くような声が発せられ、エフラムは知らず背筋を奔る悪寒に槍を握る手に力を込めた。
(こいつは……っ)
 優れた武人故の、予感。その場に佇むだけで滲み出る『強さ』というものがあるのならば、それなのだろう。自分にそれほどの圧迫感を感じさせる相手を、エフラムはこれまでに一人しか知らなかった。
 だから、彼は声を低めて言う。
「ラーチェル、振り落とされるなよ」
「え?」
 応える暇も無い。まさに閃光よりも速いお互いの一撃をもって、その二人の槍使いの戦いは始まったのである。

                ※

「凄い……」
 その戦いを表現するなら、まだ幼さを残した少女が呟いた言葉が適当だっただろう。
 エフラムの指揮する遊撃部隊に席を置く金色の髪の少女──アメリアは、自らが槍を扱うだけに、その二騎の戦いがいかに凄まじいものであるかを理解していた。
 お互いの槍が交錯することから始まったエフラムと敵将の戦いは、五合を越え、十合を打ち合っても均衡が崩れない。エフラムの槍を一合受けるのもアメリアでは至難であり、三合まで受けることは並以上の騎士でも不可能だろうと彼女は思っていた。
 だが、その紅の騎士は十合をさばき、むしろエフラム以上の巧みさで長大な槍を操っている。すでに彼らは互いに馬の手綱を手放し、両手で槍を持って打ち合い、時には体当たりまで交えてどうにかわずかな隙を突こうとしていた。それほどなりふり構えない戦いであり、例えばアメリアが間に入れば一瞬も命を保つことは出来ない、そのような世界だ。
「グラドに、まだあんな人がいたんだ……」
 もともとグラド帝国の見習い兵士であった彼女は、しかしそのような人物に心当たりが無い。帝国六将やその側近も、武に優れた者はすでに戦死するか、グラドを離れてエフラムたちに協力している。グラドが誇る帝国一の槍使いと言えば、アメリアが尊敬する黒曜石の異名を持つデッュセル将軍であるが、その彼にも匹敵する槍捌きだ。
「あれは……誰?」
 その時、無意識に疑問を口にする少女の視界の端を、見慣れた紅い鎧が通り過ぎた。敵軍からでなく、本隊から単騎で駆けるその影に、アメリアは目を丸くして叫んだ。
「デュッセル将軍!」

                ※

(強いっ)
 いつ果てぬとも知れぬ打ち合いを続けながら、エフラムは高揚する自分の心を抑えることが出来なかった。敵とは言え、好敵手との手合いは武人として幸せなことだ。
 かつて、王にはならずに傭兵として槍一本で大陸一になると父王に言って大喧嘩したこともある青年は、頭上で槍を一回転させて必殺の一撃を見舞う。
 だが、相手はそれを難なく槍の柄で弾き飛ばし、手首を回して切っ先をエフラムの喉に突きこんでくる。
「くっ」
 身をそらしてかわし、エフラムは馬の腹を蹴る。それだけで愛馬は主人の意図を察し、相手の横に回りこもうと地面を蹴る。
「きゃあっ」
 急激な動きに驚いたのはラーチェルだ。信じがたい速度で応酬される刃にエフラムの背中に顔をうずめていた少女は、振り落とされないように彼の腰に掴まる腕に力を込める。
 その悲鳴と拘束が、エフラムの動きを一瞬阻害した。
 そして、それは取り返しのつかない致命的な一瞬だった。
「死……ね」
「しまったっ」
 相手の刃に側面をさらしたのは、エフラムの方だ。眼前に迫った刃に、エフラムは身をかわそうとして、気づく。
 自分が避ければ、刃はラーチェルに当たる。
「ぐうっ」
「エフラム!?」
 鮮血が散った時、ラーチェルだけではなく、見守っていた多くの者が悲鳴を上げた。刃がエフラムの右肩を抉り、飛び散った鮮血が少女の顔を、白い衣装を真紅の色に染め上げる。
 さらに槍を振り上げる敵将に、エフラムは顔を歪めながらも震える腕で槍を持ち上げようとするが、筋を断たれたのか、彼の腕はもはや武器を支える用をなさなかった。重い音を立てて銀の槍が地に落ち、エフラムは愕然と自らの空手を見下ろした。
 自分を支えるもの。
 戦うための術。
 将来王になることを余儀なくされた一人の幼い少年が憧れ、目指したもの。
 それが──。
(……負けた)
 しかし、敗北感に浸っている暇は無かった。振り下ろされるのは充分な勢いの乗った、馬ごと彼らを叩き潰す威力の一撃だ。せめてラーチェルだけでも助けようと、エフラムが彼女を庇うように槍に身を投げ出そうとする。
 直後、敵将が槍を引いた。
 猛烈な速度で迫ったデュッセルの槍の一撃が、とっさにかわした兜の面頬を弾き飛ばし、闇夜の中に敵将の素顔が明らかにされた。
「死者……っ」
 エフラムが呻く。それは、すでに肉の腐りきった、茶色い染みの浮いた髑髏のものであったからだ。昨日今日死した者ではない。すでに何年か、何十年か前に失われた命であることは、一目でわかる。
「エフラム、ここは退がられよ! しんがりはわしが持つ!」
「すまんっ」
 有無を言わせぬデュッセルの言葉に、口惜しいながらもエフラムは素直に従った。まだここで死ぬわけにはいかない。
 が。
「!?」
「エフラム!? ちょっと……しっかりなさいな!」
 急激に全身の力が抜け、エフラムは愛馬の首に突っ伏した。そのままずり落ちかける身体を、ラーチェルが慌てて支える。
 エフラムが最後に聞いたのは、ラーチェルの癒しの祈りであった。




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