灯 火   






―――光の束が掌の中心に集まり出す。
 指先に確かな熱を感じ、それが急激に強くなって手全体を覆い尽くした。
 火傷を負う熱とはまた違った、それ。
 眩いばかりの白が溢れる――無垢、というよりは全ての色を内包したような輝きだ。
 この中に膨大な力が宿っている。
 あとは精神を研ぎ澄まし、この光の辿り着く先――指向を定めてやればいい。

 うっとりと、何ともいえない恍惚を感じながらその少女は思った。

――ああ、これだ。これなのだ。
 これが、悪しき存在を駆逐する力。
 不浄なるものを消滅させる聖なる力。
 これを自分はずっと、求めていた。
 まさにこれ以上に自分に相応しい武器があるだろうか。

「――まさしく、聖王女たるわたくしの為にあつらえたような輝きではありませんの」

 少女は朗らかに笑った。正義の使者たる者、いかなる時でも悠然たる微笑を浮かべなければならない。これは彼女の持つ多数の信条のうちの一つだ。
 少しウェーブがかった緑髪の少女――ラーチェルは眼前を見下ろす。小高い丘の上に立っている彼女の視線の先には見るもおぞましい魔物の姿があった。

「さあ、大人しくわたくしに成敗されなさい」

 そう呼びかけてもまだ、魔物はこちらに気付かない。ラーチェルは少し苛立った。背後から不意打ちで攻撃するのは正義の味方には相応しくない行為だ。このままでは頭の中で描いた台本通りにはいかないではないか。そう思って一瞬躊躇したが、ラーチェルはかぶりを振った――掌を翳したまま。
「……いいえ、きっとこれも神の御業ですわね。あなたは己の油断によって、わたくしに成敗される運命なのですわ。あの世で己の愚かさを恥じて後悔し、今までの罪を悔い改めなさい。ライトニ――」
「ラーチェル!!」
 ――ング、と続けようとしたのだが、自分の名を呼ぶ声に見事に遮られてしまった。かくん、と後ろに引っ張られ、思わず尻餅をついてしまう。
 白い光が急速に収束し、小さな火花を残して消え去ってしまう。
――魔法が、失敗してしまったのだ。
「あ、あら……」
 一瞬、何が起こったのかラーチェルにはわからなかった。さっきまで自分を高揚させていた白い光が消えてしまい。何より、ちょっと視点がいつもより低い。尻餅をついているのだから当然なのかもしれないが。そもそも何で自分は尻餅をついてしまったのだろう? それに誰かの存在を背中に強く感じる。ラーチェルは顔を上げると、元々大きな瞳を更に見開かせた。
「……!? きゃ、きゃあ!」
 至近距離に、見覚えのある顔――
「エ、エフラム?! な、い、いけませんわ、いくらなんでもこんなところで! 周りに人も敵もたくさんおりましてよ?! ……い、今更わたくしの魅力に気がついただなんて言ってももう遅いですわよ!」
 腰に腕を回され密着した身体が、エフラムだとわかった途端、ラーチェルは頬を紅潮させながら早口で捲し立てる。慌てて身を離そうと暴れると、意外にもすんなりと解放された。
 目の前で赤面して酷く動揺しているラーチェルを不思議に思いながら、エフラムは口を開く。
「……背後から敵が君を狙っていた」
「へ、あ、あら……敵?」
 エフラムの背後を見ると一匹の魔物が横たわっていた。既に絶命しているが、いまだに鋭い傷口から夥しい量の血が流れ出している。どうやら、エフラムは背後から自分を襲おうとした魔物から庇ってくれたようだ。
「まあ、わたくしったら……こほん。ええと、さっきの言葉はどうかお忘れ下さいまし。それよりも助けていただいて感謝ですわ」
 少しエフラムから視線を逸らしてラーチェルはなんとか動揺を押し隠した。背後をとられた愚かな魔物同様、自分もすっかり油断して背後から狙われてしまっていただなんて、ラーチェルにとっては笑えない冗談だ。何より先程の自分は動揺の余り、おかしなことを口走ってしまった気がする。二重の赤っ恥だった。まあエフラムにとってはそんな彼女の言動はいつも通りであって、逆に安心したくらいなのだが。
 エフラムは槍を軽く振って血を落とすと、視線を目の前の少女に留めた。不機嫌そうに眉間には皺が寄っているが、本人はそれに気付いていない。
「……君はどうも目の前の敵で頭がいっぱいになるようだな。そもそも魔法が使えるようになったからといって前線に出すぎているぞ。見ていてひやひやする」
 咎めるような声色に少しラーチェルは首を傾げた。すぐには彼がこんなに不機嫌な理由が思い浮かばなかったからだ。だが、すぐにああ、と思いつく。
「……エフラムったらわたくしを妬んでますのね?」
「はあ?」
「魔法を使えるようになってからの、かつてないわたくしの鮮やかな活躍っぷりに悔しくなってそんなことを言うんですのね。けれどそうは参りませんわ。わたくしのこの怒涛の勢いはいくらエフラムでも止めることなど不可能ですわ」
「……なんでそうなるんだ」
 自分は彼女の身を心配して、こうしてやってきたというのに。高飛車に笑うラーチェルにエフラムは嘆息した。先程、たった一人で丘の上に立って何やら得意げに胸を張っている少女を発見し、続いてその背後に魔物が迫っていたのを見た時は考える間もなく自分は駆け出していた。あと数秒でも発見するのが遅れたら、今頃彼女は無事では済まなかっただろう。
 間に合って、よかった。心底そう思った。知らぬ内に鼓動は微かに早くなっていた。思っていたより自分は焦ってしまっていたのだろうか。
 そんなエフラムの心中を知らず、ラーチェルはずずい、と指を突きつける勢いで続ける。
「それにそんな悠長なことを言ってられませんわ。わたくしには悪しき存在を成敗せねばならないという使命があるのですから。その為の力なのです。使わないと持ち損ですわ!」
「やれやれ、君らしいな。……それだから、目が離せない」
 肩を竦めてエフラムは苦笑した。声が小さくて語尾が聞き取れなかったのか、ラーチェルは「何か言いまして?」と問い掛ける。口にしたつもりのなかったエフラムは少し躊躇った。
「……いや、君のしたいようにしたらいい。君の背後は俺が守ろう」
 それは、全くもって予想もしていなかった言葉だった。ラーチェルは吃驚して、エフラムの顔をまじまじと見詰める。まさか、そんな言葉を彼から聞くとは思わなかった。頭を巡って反芻するうちにラーチェルは顔が熱くなるのを感じて慌てて言い繕う――どう反応していいのか正直わからないまま。
「ま、まあ……、そのような申し出はとても有り難いのですけれど、心配ご無用ですわ。わたくしもう二度とこのような油断は致しません。……さあ、こんなところでぐずぐずしていませんで、引き続き魔物を成敗しに参りますわよ!」
 それはどうだかな、と思いつつ、エフラムは黙って相槌を打った。彼女がどう応えるにしろ、自分の行動はもう既に決まっている。エフラムはそっと彼女を見守る――と言ったら聞こえはいいが、実質は見張っていよう、と決意した。彼女は放って置くと何をやらかすのか全く見当もつかない。
 微かに胸の奥で芽生えた感情。それを黙殺して、慌てたように身を翻して前を進む少女の背を眺めた。前途多難であろうこの先を思いながら。


 








ラーチェル→「おぬしはエフラムが好きになってしまったようじゃ」(by聖戦)
エフラム→「おぬしはラーチェルが気になっているようじゃ」からこの出来事で
「おぬしはラーチェルが好きになってしまったようじゃ」状態に昇格…?というかんじで