ちらちらと桜舞う季節。 穏やかに差す太陽と、暖かな陽気の中で。 記念すべき第100回入学式が行われた。 ユグドラル学園は、幼等部から大学部までエスカレーター式で整う名門私立校である。 幼等部からずっとユグドラル学園に所属している生徒も少なくはないが、特に高等部・大学部では大幅な募集人数拡大が行われるため、外部からの編入生も広く受け付けていた。 今年高校入学するティニーもまた、外部よりの編入であった。 中学までは私立の女子校に通っていたのだが、兄アーサーと同じ学校に通ってみたくて、彼の通うユグドラルに編入を決めたのだ。 初めての共学。 ティニーは不安と期待で胸がいっぱいだった。 『それでは新入生の皆さん。早くこの学校に慣れて、これから仲良く楽しくやっていきましょう』 にこにこと笑顔を振りまく生徒会長は、ここの校長シグルドの息子だという。 ティニーは必死に、先輩達の顔を覚えようと頑張っていた。 …そんなティニーを、どう思ったのか。 隣に座っていた女の子が、肩をつついた。 「ねえ、あなたは外部編入ね?」 「あ、はい。ティニーともうします。よろしくおねがいします。」 「あたしは内部進学。フィーっていうの、よろしくね。せっかく同じクラスになったんだから、お友達になりましょうね」 フィーは手を差し出した。 ティニーも嬉しくなって、その手を握り返した。 「はい!うれしいです」 フィーも、嬉しそうに微笑った。 『――それでは最後に、風紀委員長より校則についての説明です。』 …と、司会を務めている副生徒会長ラナの言葉に、フィーがティニーの耳元に囁いた。 「…あのね、あの風紀委員長って、セティっていうんだけど…実はあたしのお兄ちゃんなの。」 「えっ!?」 反射的に舞台上を見る。 マイクのところまで歩いてきた先輩は、遠目で似ているかどうかはよくわからないけれど、確かにフィーと同じ髪の色をしていた。 『まずは新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。…風紀委員を代表いたしまして、これから我が校の校則についての説明を致しますが、細かいことは皆さんがお持ちの生徒手帳に記載されておりますので、そちらをご覧下さい。この場では、重要な点だけかいつまんでご説明させていただきます。』 耳障りの良い声と、誠実で優しそうな話し方。 ティニーはフィーを振り返ると、微笑んだ。 「…素敵なお兄さまですね。」 フィーは少し意外そうに目を丸くして、手を口元に当てて声を潜めた。 「――ああいうの、好み?そしたら、ティニーにあげるわ。」 「え…っ!?」 いかにも初そうなティニーの頬が、ぼぼぼっと染まっていく。 ありゃ、とフィーは笑った。 「ごめんごめん、冗談よ。…でも、お兄ちゃんって風紀委員やってるんでもわかると思うけど、すごい真面目で堅物なのよ。だから、身内のことながら顔はそんなに悪くないと思うんだけど、彼女できなくって。いもーととしては、ちょっと世話焼いちゃったりしてね」 「………」 困ったように俯きながら頬を染めているティニーをちらりと見て、(でも、実はまんざらでもなかったりして?)なんて思っていた。 ティニーは、本が好きだった。 色々な本を読むのが好きだし、本に囲まれているだけでも好きだった。 だから、部活に入らない代わりに図書委員になった。――両方に所属してもいいのだが、活動的とは言えないティニーには、それは厳しいように思えたのだ。 ――ただ、初めて委員会の仕事の当番になったこの日、ティニーは初めて気付いてしまった。 (…ここの図書室って、書棚の背が高い…) ということに。 考えてみれば、ティニーが今までいたのは中学で、しかも女子校である。 男子高校生なんかがいるこの学校の図書室が、以前のように『誰にでも手が届くように』できているとは思いにくい。 ティニーは、女生徒の中でも小さい方だ。 一番上の段は、背伸びしても到底届きそうになかった。 (これは……どうしたら) 図書委員として。 返却された本を元の場所に戻さなければならないのだが、置き場所はティニーの遙か頭上にある。 ティニーは辺りを見回す。 こんなに高いのだから、何か台かなにかがあるはずだ、と。 けれど、そのようなものはどうやら見あたらない。 (どうしましょう…) ティニーは困った。 普通の生徒なら、読書や自習用の机にある椅子を持ってきてそれを台代わりにしてしまうのだが、お嬢様学校で育ったティニーには、そんなことが思いも寄らなかった。 「…うんっ!…んーっ!」 ティニーは必死になって、背伸びした。 せめて本の端だけでもひっかかれば…と手を伸ばすけれど、あと少しのところでいっこうに届かない。 「――…危ないですよ。」 「えっ?」 夢中になっていたティニーの背後から、男の人の声が聞こえた。 「やりましょう」 彼はティニーの手から本を抜き取ると、置き場所の番号を確かめてスッと本棚に戻した。 (…た、たかい…) ティニーがどんなにしても届かなかった場所に、なんの苦もなく、…どころか余裕で届いてしまった。 知識として。男の人の背が高い事なんて知っていたけれど、改めてこの学校には、女子校にはいなかった『背の高い男子』がいることを実感してしまった。 ドキドキと、恐れに近い緊張で胸が高鳴る。 「あ…、あの、ありがとうござ、います…」 おそるおそる見上げると、親切な男子生徒は優しく、にこりと微笑んだ。 「いえ。」 「あ…」 ティニーは彼の顔を初めて見上げて、ハッとする。 深緑の髪と、緑柱石の瞳。耳になじむ声と、誠実な優しさ。 「もしかして……、セティ先輩…?」 「え?どうして…」 「あ…、いえ…っ」 パッと口を塞ぐ。 突然自分の名を言い当てられたら、驚くだろう。 初対面の相手に、不躾なことをしてしまったと、ティニーは慌てた。 「あ、あのあの、その…フィ、フィーが…」 セティは、得心がいったように頷いた。 「ああ…。フィーのお友達か。いつもフィーがお世話になっているね。」 「あ、いえ…こちらこそ…。いつもセティ先輩のことは、フィーから聞いてます。」 「――何を?」セティは、複雑そうな表情で笑った。「…生真面目で融通が利かない朴念仁な兄だって?」 ティニーは思わず、ぷっと吹き出す。 クスクス笑い初めて止まらなくなったティニーを見て、やっぱりねと苦笑する。 「い、いえ…あの、そればっかりじゃ…。大好きな素敵なお兄さまだって、聞いて…」 慌てて弁解するけれど、やっぱり笑いが止まらなくて。ティニーは困った。 「いやいや、いつものことだから、気にしないで。」 気分を害した様子はないセティに、よかった、と安心して微笑む。 「…セティ先輩は、風紀委員長もしていらっしゃるけれど、テニス部も掛け持っていらっしゃるって聞きました。大変じゃありませんか?」 「ん?いや…。そうでもないよ。委員会は学校への貢献活動で、テニスは趣味だからね。忙しくなくもないけれど、こうして読書しにくる時間もあるし…」 「そうですね。勉強だってしっかりしてらっしゃいますものね。」 セティは成績優秀らしい。セティと同じように、生徒会長を務めながらテニス部の部長をしているセリスと、3学年トップの成績をいつも競っているのだそうだ。 「…そんなことは…」 セティは少し耳元を赤くした。 (やっぱり…) ――フィーは、『無愛想な兄』とティニーに説明したけれど。 言いながら、その瞳は笑ってた。 (セティ先輩って、表情は固いのかもしれないけれど、無愛想なんかじゃないわ) ――意外と不器用なのかしら。 どこか親近感などというものを抱いてしまい、ティニーは嬉しくなった。 「…でも、セティ先輩の妹なのだから、フィーも成績優秀なのでしょうか」 セティは笑った。 「いや。全く。毎度毎度試験前になると、泣きついてくるよ」 現実的な話で、ティニーも思わず一緒に笑ってしまう。 「まあ、大変。でも、私も教えて貰わなくちゃ」 特に深い意味は無くて、言った。 …自分も、新たな学校に来て初めての試験は、感覚が掴めなくて不安だという気持ちを込めただけのつもりだった。 ――でも、セティは目を瞬いてティニーを見ていた。 「――…」 「あ」 彼の視線を受けて、初めて自分の台詞を振り返る。 ――ずうずうしい発言になってしまっただろうか。 言い訳しようか、でも…と俯いていると、セティが口を開いた。 「…本当に来る?」 「えっ」 ティニーが驚いて顔を上げる。 「これでも一応上級生だからね。教えられることはあると思うよ。試験前になったら、フィーと一緒に家で勉強会でもするかい?」 「…そんな、でも…先輩だって、お勉強があるでしょう?」 名門女子校にいたティニーは、普段からの勉強に加え、毎回試験の度に猛勉強をして試験対策をする模範生徒だった。 そんなティニーにとって、新しい学校の試験はひどく不安で不自由なものだったので、とても嬉しい申し出だ。 けれど、初対面の相手に対して――いくら友人の兄とはいえ、甘えすぎだと躊躇する。 「一緒に勉強するからいいよ。それに、もう3年にもなると慣れたものだ。幼等部からこの学園にいるしね。」 「でも…」 容易に頷くわけにはいかないティニーに、セティはひとつ提案をした。 「…それじゃあ、代わりに差し入れでもしてもらおうかな。」 「え?」 「教師代として、部活に差し入れしてくれないか?運動をしていると、お腹が空くんだよ。」 代償があるのならと、ティニーも心が軽くなった。 それに、ここまで言ってくれるのだから、お願いしても良いような気がした。 ティニーは嬉しそうに微笑んで大きく頷く。 「はいっ。それじゃ、毎日作って持っていきますね!」 「――え?毎日?」 驚いたのは、セティである。 ティニーはセティの反応を見て、きょとんとした。 「え?…あ、ごめんなさい。違うんですか」 「え、あ、いや…。そんな、毎日作ってもらうなんて図々しいことは…。…ただ、一度だけ市販のお菓子でも買って貰おうかと…。」 ティニーは勘違いに気付いて、俯く。 「ご、ごめんなさいっ、あの…ご迷惑ですよね。そんな…」 明らかに気落ちしたティニーに、セティは慌てて否定した。 「ち、違うよ、まさか!ただ、作るのは大変だろう?その上、毎日だなんて…。試験の度に家庭教師をしたって割に合わない」 「………」 セティの言い訳は、ただの慰めに聞こえるのだろうか。 ティニーは依然、俯いたきりである。 セティの位置からは、彼女の髪しか見えない。…それが、罪悪感と共にひどく寂しくて。 「そ…それじゃあ、負担にならないのなら…。…君が、気が向いたときだけ、作ってもらおう…かな」 そう言えば、ティニーは元気を出すだろうか。 セティは試しに言ってみた。 そうしたら、ティニーはパッと顔を上げた。 「――本当ですか?」 「う…ん、君がそれでいいなら…」 どうして自分の方が『許しを与える側』になっているのだろう。甚だ疑問に思いながら。 「頑張りますっ!」 ――とりあえず、彼女が元気を出したようだから、それでいいかと思った。 ――その翌日から、テニスコートには毎日、ティニーの姿が見られるようになる。 手には、可愛らしいラッピングのされた包みを持って。 休憩時間の度にコートを抜け出すセティの姿が、やがて有名になったとか、ならないとか。 |