「――マネージャー、ですか?」
ティニーはくるっとした大きな瞳をパチパチと瞬かせ、ちょこんと首を傾げた。
「うん、実は人手が足りなくて。君なら、今のところ部活も入っていないし、どうかと思って…」
セティは少し俯いて、僅かに耳を赤く染めて言った。どうやら気まずげに。
どうして彼がそんなに照れているのかは知らないのだが、ティニーはじっとそんな彼の頭を見つめて考えていた。
「でも…マネージャーって、結構大変な仕事ですよね?わたしに務まるでしょうか…」
仕事をするのが嫌なわけではない。むしろ、人の役に立てることは好きだった。
けれど、自慢ではないが体力には自信がないのだ。
セティがパッと顔を上げる。ティニーの反応がさほど色の悪いものではないのを感じ取り、
ここぞとばかりに売り込む。
「大丈夫!…だと思う。1年生にはいないが、2年なら他にもいるし、もちろん私もできる限りフォローする。
手伝ってくれればそれでいいんだ」
「………」
図書委員の仕事はほんの時々しかないし、残りの日は毎日、セティに差し入れを届けにテニス部に訪れるティニー。
そんな彼女がマネージャーになるのは、さして不思議のない話だった。
ティニーも、堂々とテニス部に出入りできるようになるし、一番近くで普段から彼を支え、応援できるというのは、
捨てがたい魅力のように思えてくる。ただ見学しているだけよりは、充実していてやりがいもありそうだし。
肉体労働派からはほど遠い自覚があるだけに、すぐには決心できずしばらく考えていたが、セティの真剣な瞳におされるようにして、
ティニーはようやく頷いた。躊躇いがちに、けれどどこか嬉しそうに。
「…わかりました。私なんかで、お役に立てるのでしたら…」
「本当か、ありがとう!」
セティが思わずティニーの両手を握り、ティニーの頬がぽっと赤く染まった。
それを見て感染したように赤くなったセティは、しばし手を離すべきか彼女を抱き寄せるべきか、悩んでいたという。
――事は今朝の教室で。
クラスメイトでもあり、セティの所属するテニス部の部長でもあるセリスが、セティと朝の挨拶を交わすなり提案してきたこと。
…思えば、それが全ての始まりであった。
「ねえセティ。ティニーのこと、マネージャーに説得してみない?」
「え?」
着席しながらセティは聞き返した。今まで、そのようなことを仄めかされたこともなかったので、あまりに突然の話である。
「いいじゃん、どうせ毎日毎日見学しに来てるんだし。ほら、これから試合増えるだろう?もう一人くらい必要だと思って」
「でも、本人がやりたいと言い出しているわけでもないのに、押しつけたくは…」
あくまでも彼女自身の意志を尊重したい。けれど、セティが頼んだりしたら、引き受けないといけないように思ってしまうかもしれない。
にこにこと軽く言うセリスにセティは一度は渋ったが、続いた台詞に言葉を詰まらせた。
「ずっと一緒にいられるよー。練習中ずっと一緒だよー。試合に行く時も一緒だよー。
ティニーに『タオル、はい!』やってもらいたくない?いいだろう憧れるだろうほら頼みたくなってきただろう」
「う…」
冷静沈着、大人びていていつも抜け目がない割りに、時々変なところで純なセティは、
想像するなりみるみるしぼんでいった。セリスは満足げにポン、とセティの肩を叩いた。
「じゃ、頼んだよ。しっかり説得してきてくれ!」
あ。と引き留めるように手を前方に伸ばしたが、スタスタと立ち去っていくセリスに声を掛けてまで拒否するほどの強い意志が、
今のセティにはないのだった。
そんなこんなで、話は冒頭に続くわけである。
…こうしてティニーは、晴れてテニス部の正式なマネージャーとなった。
だが、それが即ち、彼女がセリスの指示の届く範囲に捕まったということであるのだと、
今はまだセリス以外、誰も気付いていない。
――無邪気にひらひら飛び回る蝶は、あるいはそれをのんびり愛でている者は、蜘蛛が前方でにやりと笑って罠を張っていることに、
果たしていつ気付くのか…。
ユグドラル学園・青春日記ドタバタデート編
「ちょっとセリス!!」
ガラガラばん!
セリス達の教室にどかどかと入ってきた人物、彼はセリスの父方の従弟で、名をリーフという。
高校に入ってからは、その俊敏さを生かしてサッカー部に入ったと聞いている。
もの凄い勢いでセリスの目の前までやって来たリーフは、突如声を落としてセリスにしか聞こえないように小声で、
しかし必死の形相でぼそぼそと叫んだ。
「セリス、なんてことしてくれるんだよ!」
「うん?何が?」
セリスはけろりと微笑って問い返す。
「僕がティニーのこと好きだって、知ってるだろ!マネージャーなんかにしたら、余計に付け入る隙がなくなっちゃうじゃないか!!」
「ああ、そういえばそんなことも言っていたね。」
どこで見初めたか知らないが、ティニーと接点を作るため、読書なんて大嫌いの癖に、
彼女が委員会の当番の日は欠かさず図書室に通い詰めているらしい。
もともと噂になっていたセティと、本当に恋人同士になったらしいというのをセリスから聞いて、最近はひどく落ち込んでいたようだ。
「『そんなことも言っていた』!?非道いよセリス、僕たち従兄弟同士だろ、薄情者!!」
ついにおいおいと泣き出したリーフに、セリスは「どうどう」と彼を諫める。リーフはセリスの机に突っ伏したまま、
机にくっついて離さないとでも言うかのように顔を見せない。
「わかった、わかったよ。協力するから」
「ほんと!?」
現金にも即座に顔を上げて、表情を輝かせる。
「いいよ。デートを取り付けてあげよう。部長権限を使って。」
「セリス!!」
なんて良い奴なんだ、と子犬のような目を向けられて、セリスはうんうん、と鷹揚に頷いて見せた。
さながら、どこぞの国王陛下――それも、全てを思いのままにしていい気になっているどうしようもない王族を気取ったように。
* * *
「ちょっとセティ!」
ガラガラばん!
一方こちらは、学年でも聡明美人で有名なイシュタル。ティニーの従姉である。
幼い頃から中学時代まで、家庭の事情で伯父夫婦の元で暮らしていたティニーは、イシュタルとは実の姉妹のように仲が良かった。
イシュタルもティニーのことは目に入れても痛くないほど可愛がっていて、そのティニーがセティと付き合いだしたというのを
聞いて、それ以来セティにあまりいい顔をしない。
彼女曰く「ティニーに恋人はまだ早いわ」だそうだが、高校生というのが恋愛には
「まだまだ早い」年齢なのかどうかは、セティにしてみれば甚だ疑問である。
かくいうイシュタル自身、ユリウスという名の歴とした(年下の)恋人がいるわけで。
今回もまた、女神のように輝いていながら鬼神の形相をした彼女が教室に飛び込んできて、セティは少々肩を強張らせた。
イシュタルは、観衆の視線を一身に浴びながらセティのところに大股で歩み寄ってきて、ばんっと目の前で机に両手を付いた。
「ティニーがマネージャーになったって、どういうことかしら!?」
「どうって…」
「どうせあなたが誘ったんでしょう。ティニーに労働させるなんて、どういうつもりなの!?」
恋人なんてまだ早い、と言っていながらも、ティニー自身がセティを慕っているのだし、セティも彼女を大切にしているのは
伝わってきたので、とりあえず様子見を決め込んでいた。しかし、彼がティニーに無理をさせるというのなら話は別だ。
イシュタルの実家では多数の使用人を雇っており、ティニーには水仕事一つさせず可愛がって育ててきた。
もちろん、中学までも運動部はもちろん、部活動に在籍していた経験など一つもない。
小間使いよろしく他人のために土にまみれて扱き使われるのを黙って見ているなど、言語道断である。
イシュタルには、自分がティニーに「セティはやめておけ」と説得すれば、考え直させることができる自信があった。
何かセティに関する悪い噂でもでっち上げて、ティニーに言って聞かせればいいのだ。
一方、ティニーがよく「イシュタルねえさま、イシュタルねえさま」と嬉しそうに話をするのを知っているだけに、
イシュタルを前にする時に限っては、少々自信がなさそうにするのがセティである。
「そう言われても、ティニーを説得してくれと言って来たのは部長であるし、ティニー本人も結構楽しそうにやっているようだよ。」
セリスに言われたというのは嘘ではないが、自分にもやましい気持ちがあっただけに、ついつい逃げ腰であるのは否めない。
しかしイシュタルは、それに少しは納得してくれたようで、考えるように腕を組んだ。
「…分かったわ。今度テニス部を見学させていただきます。それで判断することにしましょう」
尊大さが妙に様になったイシュタルは、切れ長の目を細めてそう宣言した。
* * *
部室前に設置されたベンチに座って、ティニーは一つ一つボールの点検をしていた。
右のカゴから、一つ取って固さを確かめては左のカゴへ。
単調な作業だが、下手な肉体労働に比べればティニーにとっては楽な仕事のうちだった。
――丸いものを見ていると落ち着く。
ほのぼのとそんなことを考えながら、手の内でボールを弄んでいたティニーの足下に、一つの影が落ちた。
「ティニー」
「はいっ」
はっとして顔を上げると、前に立っているのは部長のセリスだった。セリスはいつもの爽やかな笑顔を携えて、ティニーに告げた。
「実はね、さっそくだけれど、マネージャーの君に買い出しをしてもらいたいんだ。」
「あ、はい。わかりました。」
彼がいつもに増して妙ににこやかであるのに、疑問は持たない。
「でもね、一人じゃ荷物が重いと思う。でも、僕はちょっと用事があって行けないんだ。
だから、僕の知り合いに一緒に行ってくれるよう頼んで置いたから。
僕の従弟で、リーフっていうんだけどね。優しい奴だから大丈夫だよ。」
セリスは買い出しのメモを渡しながら言う。メモはノートの端をちぎったような即席の小さなもので、
買い物の内容もそう厳密だったり多かったりすることもないようだ。
二つ折りにされたそれを受け取る。
「え、でも。私一人で平気ですよ…?」
知らない人を買い物に付き合わせるなんて、と躊躇う。まして、テニス部員でもない人を。だが、
「いや!無理!」 セリスは即答した。「絶対無理だよ。重いから女の子一人じゃ無理無理。絶対無理。」
「は…あ…」
ティニーはセリスの剣幕に、きょとんと目を丸くした。なんだかよくわからないが、よほどのことらしい。
「というわけだから、今度の日曜日午後1時にシアルフィ駅前の忠犬バルド公像前だからね、いいね!」
有無を言わせず去っていくセリスを見送って、ティニーは手元のメモを見る。
――部に置いておく分の、…サポーター?
(サポーターって、そんなに重いかしら…?)
ティニーは一人、首を傾げた。
遠くまで離れて足を止めると、セリスはちらりとティニーを窺う。…首を傾げて呆然としてはいるが、幸い彼女の控えめな性格ゆえに、
敢えて断りにやってくることもなさそうだ。
しめしめと思いかけて、セリスはふと考える。
――これだけじゃ、あまり面白くないな。
人の恋路をなんだと思っていると言われそうだが、セリスはそう考えた。
(どうせなら…。)
そして思いついたように、フェンス際で素振りをしているセティの元に寄っていく。
セリスが仕事を装って遊興している間にも、彼は真面目にウォーミングアップをしていた。
額にうっすら汗が光っている彼に向かって、いたってすっきりした笑顔で。
「セティ、耳寄りな情報いらない?」
「…情報?」
セティは手を止めると、少々うさんくさそうに眉を顰めて聞き返した。耳寄りというが、ろくなこととは思えない。
「そう。」 来い来いと手招きしてから、セティの耳に小さく囁く。「…ティニーが、サッカー部のリーフとデートするらしいよ」
「!」
セティはそれを聞くなり、目を大きく瞠った。
セリスはいかにも困ったように、腕を組んで唸る。
「いや、僕は止めたんだけどね。どうしても一緒に行きたいらしくって。今度の日曜午後1時にバルド公像前で
待ち合わせしてるとかなんとか……あ、しまった、言っちゃったよ、まいったなあ」
端から見ればあまりに白々しい演技だが、呆然としているセティには十分効果があったようだ。
ラケットを握ったままのセティの腕は、力無くぶら下がっている。
真面目な表情を装いながら、セリスは内心にやりと笑った。
その背後から、通りすがり様にぼそりと掛けられた声。
「…セリス先輩の、バカ…」
ハッと振り向くと、女子テニス部のジャージに金色の髪の少女が、立ち去っていくところだった。
(ナンナ…?)
その後ろ姿から、女子部の二年生エースである少女のことを思い浮かべて、セリスはぱちくりと目を瞬いた。
* * *
アグストリア株式会社の重役を務めているエルトシャン宅。エルトシャンとその妹ラケシスはとても仲が良く、
よく家族ぐるみで食事会を開く。昔からの恒例である。
母グラーニェと叔母ラケシスが腕を振るった料理の数々をみるみるうちに平らげて、
デザートのケーキまでぺろりと食べ尽くしたアレスは、ケーキがお皿に残ったままの空席をちらりと見た。
従妹のナンナ。いつもなら長くその席にいて、和やかに家族達と話に花を咲かせるのに、今日に限っては食事に少し手を着けたきり、
早々に席を立ってどこかへ消えてしまった。
アレスは彼女の手つかずのケーキ皿を持って、立ち上がった。
月の光に浮かび上がるバルコニーに、彼女の姿はあった。思い悩むように佇んでいる。
俯いた黄金色の髪の一筋一筋が、蒼鉛色に光を弾いて神秘的な一枚の絵画のようだ。
「――おい、お前ケーキ好きだろ、食べないのか」
持ってきたケーキの皿を掲げると、ナンナはちらりと振り返って、ふう、とため息を吐いた。
「…ごめんなさい。あまり食欲ないの…」
「なんなんだよ、ダイエットでもしてるのか?」
「違うわよ。」
アレスは彼女の隣に立って手すりに寄りかかると、機嫌悪そうなナンナの横顔を眺める。
その視線に気が付いて、ナンナは振り払うように顔を背けた。
「あたしだって…悩みくらいあるの!」
「成績が落ちたとか?」
ちゃかすように言った言葉は、少々感に障ったらしい。
「放っておいて。デリカシーもないの?」
普段穏やかなナンナが、ここまで感情を顕わにするのは珍しい。互いに良く知っている従兄妹同士だからこそ、
隠された面が発露するのだろう。
「ふぅん。…恋煩いか」
デリカシーがないとまで言われて、核心を突かないわけにはいかなかった。
せっかくはぐらかしたままでいてやろうとしていたのに、こうまで言われて黙ってはおけない。
「………!」
室内から漏れてくる明かりで、ナンナの顔がパッと朱に染まったのが分かる。
「お前、好きな奴なんていたの?」
「い、いるわよ。悪い?」
子供のころから親戚づきあいは多く、幼い頃を知られているアレスに、自分の色恋沙汰を知られるのは何となく気恥ずかしい。
「…べっつに」
否定しながらも、アレスの表情はどこか固い。
「…それで、何悩んでいるんだよ?振られたのか?」
「違うわ。告白してないもの。」
「なんでしないんだよ」
ナンナはじわりと涙さえ浮かべて言い捨てた。
「その人、好きな人がいるのよ…!」
「………」
なるほどね、とアレスは小さく頷いた。元々、薄々勘付いてはいたけれど。
「…今度、デートするんですって」
観念したように呟く。これ以上隠し立てすることもない。
「ふうん。カップル成立しちまった訳だ」
ナンナは緩く首を振った。
「違うわ。その女の子にも、別に恋人がいるもの。そうじゃなくて、ただデートを取り付けたの。他の人の協力でね」
「なんだよ。じゃあ、迷うことなんてないじゃねえか」
アレスはきっぱりと言い放った。
「なんでよ?今までは接点が少なかったからいいけど、デートが成功したらもしかしたら、その娘だって振り向いちゃうかもしれないわ」
「だから、ぶちこわせばいいだろ。」
「…!?」
ナンナは顔を顰めた。
アレスはナンナを見下ろすようにして、不機嫌そうに言い直した。当たり前のことのように。
「成功したら困るなら、ついていってぶち壊してやればいいじゃねえか。」
「な…」
いくらなんでも、と否定しかけるが、アレスの声が被る。
「俺も付いていってやるよ。」
「…………」
ナンナは不安そうにアレスを見上げた。
そしてから俯いて、小さく、本当に小さく、頷いた。
* * *
――さて、その当日、シアルフィ駅前。
几帳面な性格故に、相手を待たせてはならないと、20分も前に待ち合わせ場所にたどり着いたティニーは、
入学祝いにイシュタルからプレゼントされた銀の腕時計を覗き込み、時間を確認した。
まだまだ余裕がある。
街は喧噪に包まれており、右へ左へたくさんの人波が入り乱れる。少し息苦しい感もあるが、行き来する人々の
服装や仕草を見ているだけでも、飽きることがない。
腕を組んで歩く恋人同士、仕事があるのか、大きな鞄を持って急ぎ行く人、ゆっくりと歩く老婦人…。
それぞれにそれぞれの事情があって、理由があって、そこに存在しているのだと思うと、色々なことが想像されて楽しい。
のんびりと、止め処なく流れていく眼前の光景を眺めていると、一人、まっすぐにティニーの元に近寄ってくる人物があった。
長身で、長い髪を一つに纏めた少し年上の青年。ポケットの中に両の手を入れて、歩いてくる。
ティニーはキョロキョロと周囲を見回して、彼が明らかに自分の方にやってくるのだと確認してから、
会釈するように少し首を傾けて、にこりと微笑んだ。
「やっ」
青年は片手を持ち上げて、ティニーに挨拶した。軽くて人懐っこい笑顔だ。
間違いない、とティニーは確信する。
「あの、リーフさんですか?」
セリスの従兄妹でリーフという名前、待ち合わせの相手に関して知っている情報はそれだけだった。
てっきり、にっこり笑ったこの青年がそうなのだと思い、ティニーは問いかける。
「リーフ?いや、俺の名前はホメロス。」
「ホメロス…さん?」
違った、と思った。――でも、それではどうして、彼は自分に話しかけてくるのだろう。
彼もやはり誰かと待ち合わせていて、人違いをしたのだろうか。
だが、ホメロスは気にしたようもなく相変わらず親しげに笑っている。
「そっかあ、もしかして君、誰かと待ち合わせ中?」
「あ、はい」
初対面とは思えないくらい、馴れ馴れしく話しかけてくるホメロスという男に、ティニーは戸惑いつつ頷く。
「彼?」
「…『彼』?」
「だからさ、彼氏とデート?」
「いいえ、知り合いの知り合いの方と、部活動の買い出しに」
ティニーは正直に答える。
ホメロスは嬉しそうに笑った。
「よっしゃ!じゃあさ、一緒にどっか行こうぜ」
調子に乗ったようにティニーの腕を掴む。ティニーは吃驚した。
「どこか?あの、でも、私、人を待っておりますので…っ」
「そう言わず。買い物なら俺が付き合ってやるよ。な、いいだろ」
「それは嬉しいのですが、どちらにせよリーフさんに一言…」
勝手にいなくなってしまっては、リーフが心配するかもしれない。
遅れていると思って、いつまでも待たせてしまったりしたら申し訳ない。
「いいからいいから!俺は君みたいな可愛いコ大好きなんだよねー。貴重だよ、こんないい子に会えるなんて。」
今日はついてる、と言って、彼の足下が浮かれている。
「は…?」
おろおろするティニーの肩を、ホメロスの長い手が抱き寄せて促す。よろけながら、ホメロスに強引に連れ出される。
知らない男性に肩を抱かれるなんて、ティニーにしてみれば天変地異である。どうしていいのかわからなくて、
混乱に頭がくらくらした。
その時、反対側からホメロスの肩をぐいっと掴んで、ティニーから引き離した手があった。
「おい、ティニーに何をする!」
「うん?」
振り返ると、もの凄い剣幕で睨み付けている男がいた。学生らしき若い男である。
ホメロスは一瞬驚いたが、すぐに立ち直ってニヤッと笑う。
「…あ、なに?あんたもしかして『リーフさん』?」
尋ねるが、その返答は男からではなく、ティニーの口から発せられた。
「――セティ先輩…!」
ティニーは目を丸くする。思わぬ人の出現に驚き、同時に彼の救いの手に安堵する。
「あれ、コイツが『リーフ』じゃないの?」
意外そうなホメロスに、ティニーは律儀に頷いた。
「はあ…。…でもあの、セティ先輩、どうしてここに…?」
ティニーが思い違いでもしていなければ、待ち合わせをしているのは、
今日はセティではなくて、セリスの従弟、リーフのはずだ。
ティニーに怪訝そうに見つめられて、セティはたちまち、それまでの鋭い目つきを引っ込めてたじろいだ。
「あ。…いや、その…。…ぐ、偶然…かな?」
「…?」
ははは、と気まずげに笑うセティに、ティニーはただただ首を傾げるばかり。
実はこのセティ、ティニーが来るより更に10分ほど早く待ち合わせ場所のすぐ近くまで辿り着いて、それとなく様子を窺っていたのである。
もちろん最後まで隠れているつもりだったのだが、ティニーがナンパされるのを見ていられず、思わず飛び出してきた次第だ。
ぎくしゃくして返答に窮しているセティを見て、ホメロスは早くも大体の事情を推測していた。
何せ、色恋のプロを自称する男である。男女が揃えばそこには関係が発生する。――彼の持論だ。
ちょうどその時、今度こそ本物のリーフがやって来た。なんだかんだしているうちに、
ちょうど待ち合わせの時間になっていたのだ。
リーフは、目的のティニーが二人の男に囲まれているのを見て取って、色を作す。
「あーっ!何やってんだよ、あんたら!」
とりあえず、見たこともない男――ホメロスを追い払うが如く睨め付けて後、セティに向き直る。
「…あんた、なんでここにいるわけ?」
セティは顎を上げて、少々わざとらしい微笑を浮かべて答えた。
「いや、だから、偶然…。…ティニーの姿を見かけてね。」
「………」
絶対、嘘だ。明らかに胡散臭そうに、リーフはセティをじっと見つめる。
「あ、あの、あなたがリーフさんですか?」
一人、空気が分かっていないティニーが問いかけると、リーフが途端に破顔した。
隣でこっそりホッと息を吐いたのはセティである。
「うん。僕がリーフだよ。一緒に買い物に行くっていう約束だよね。」
なにやら怖い顔をしていたのが取り払われ、優しい笑顔を向けてくれたリーフにティニーは胸をなで下ろした。
一瞬怖い人かと思ったけれど、セリスの言っていた通り、本当は優しい人であるらしい。
「はい。よろしくお願いします。」 ほのぼのと挨拶を交わし、続いてティニーはセティに視線を移す。
「あの…、セティ先輩はこれから…?」
「いや、特に何か用事があるわけではないんだが。ご一緒しても構わないかな?」
いけしゃあしゃあと言ってのけ、ティニーにそう尋ねたセティに、
リーフが見るからに「げっ」と顔を顰めたが、セティはあくまでティニーに尋ねているのだ。
ティニーの手前、リーフがあからさまに追い払うわけにもいかなかった。
ティニーはリーフの心中など知らず、ぱあぁっと表情を輝かせる。
「はいっ、嬉しいです!」
「――あれ、俺はぁ?」
すっかり存在を忘れられていたホメロスが口を挟んだが、次の瞬間二人の男にギッと睨み付けられ、諸手を上げる。
「わ、わかったわかった。俺は退くよ」
二人とも、美貌を自慢とするホメロスに負けず劣らず端正な顔をしている。冷ややかに目を吊り上げられると、大層な迫力だ。
そこは執念の差。通りすがりのしがないナンパ野郎に勝ち目はなかった。
セティとリーフは、互いに牽制しつつティニーを連れ立って目的地に向かい歩き出す。
やれやれと彼らを見送ったホメロスは、横をすっと通っていった二人組を奇妙そうに見た。
これだけの人混み、人が横を通ったからと言って何もおかしな事などないのだが、
鮮やかな金髪を持つ男女が、こそこそと挙動不審で一心不乱に一点を見つめて歩いていくのは、
なにやら奇妙な雰囲気だ。
――どうやら、ティニー達を尾行しているようだとわかる。
(…やれやれ、お盛んなようで)
あれ以上足を踏み入れなくてよかった、とホメロスはつくづく思ったのだった。
――男女の因果関係は、怖い。
* * *
「あれ、アレス!?」
突然降りかかってきた高い声に、アレスとナンナはハッと振り向いた。
ちょうど、ティニー達3人が建物の中に入ったところで、見失わないうちに早く、と気が急いていたところである。
誰かと思えば、明るい緑色の髪をした、同年代の可愛い女の子だった。
すらっと伸びた細くも長い手足。高く結ったポニーテールと白い足を顕わにした短いパンツルックが、
華やかで爽快な印象を与えている。
「…知り合い?」
ナンナは隣のアレスを見上げる。彼は少々歯切れ悪く頷いた。
「ちょっとな。」
対して、彼女の方は軽い足取りでこちらに近付いてきた。
「こんなところで会うなんてね、アレス…」
「リーン、久しぶりだな。」
リーンと呼ばれた少女は、ちらりとアレスの隣にいるナンナを見遣った。
「何してるの?…デート?」
同じ年代の男女が休みの日、街を二人で歩いていたら、普通はそう思うだろう。
ナンナはなんだかまずい気がして、慌てて否定する。
「い、いえっ。違います。私はただの従妹で…!」
リーンはふうん、と口をすぼめた。
「ねえアレス、それじゃ、あたしも一緒にいても良い?」
アレスはいつものことながら、素っ気ない態度でつんとそっぽ向いた。
「どうして俺がお前と一緒に行かなきゃいけないんだよ」
「相変わらず冷たいのね。元カノに対して」
(へえ…)
ナンナは思わず、感心したような表情を表に出していた。
アレスが一般に美形で通っているのは知識として知っていたが、こんなに可愛い彼女がいたなんて知らなかった。
だが、アレスはますます機嫌を悪くしたように、顔を顰めて言い捨てる。
「もう終わった仲だろ。いつまでもベタベタすんじゃねえよ」
(うわぁ…)
アレスの口が悪いのは知っていた。けれど、いくらなんでも、そんな言い方をしなくたって。
思わずナンナは彼女に同情を寄せてしまう。
リーンもさすがに、満面の笑顔を取り下げた。
「なによ、進学する高校が違ったからって、すんなり別れちゃって。
あれからあたし、連絡くれるの待ってたのよ。なのに、電話の一つくれなかったわ。」
つまり、中学時代の恋人なわけだ。ナンナは中学時代は、興味がないわけではなかったが、好きな人がいなかったから、
恋人なんていなかった。あのころ、アレスはこの子と付き合っていたんだ、なんて思うと、どこか不思議な感じがする。
「当たり前だろ、別れたんだから。未練たらしく電話なんかするかよ。」
「………」
リーンは黙り込んだ。
ナンナはどんどんハラハラしてきて、いても立ってもいられなくなってきた。
きっと彼女は、本当に別れるつもりなんかなくて。学校が別れても関係を続けるつもりで。
でも、完全に別れたと思っていたアレスは彼女のことはもう過去のことと思っていて。
だけどきっと、リーンは未だにアレスが好きなんだ。――そんな、ありがちな場面。
こういうの、俗に修羅場って言うんじゃないだろうか?
「アレス…、あの…」
ナンナはついに口を挟んでしまった。もう少しくらい、優しくしてあげたら…と。
けれど、そんなナンナの目配せが、余計にアレスの神経を逆なでしてしまった。
「リーンと付き合っていたのなんて、何年も前の話だぞ!今更掘り返されてたまるかよ!」
リーンが、弾かれたように身を乗り出した。
「でも、あたしは過去のことなんて思ってない、ずっと…だって、ずっと忘れられなくて…」
「俺はお前のことなんてもうどうでもいい。俺はコイツが好きなんだ!」
ナンナは耳を疑った。…アレスの人差し指が、自分に向いていたから。
信じられないようにアレスを見上げ、続いて、呆然と自分を見ているリーンを見た。
アレスは、念を押すように繰り返す。
「…俺はナンナが好きだ。そうでもなきゃ、わざわざ尾行に付き合ってやるなんてバカなことするかよ」
――これは、何かの夢?
考えたこともなかった。彼が、自分をそんな目で見ているなんて。
ただの従兄妹で、親戚で、仲の良い家族で。ナンナにとって、ただそれだけであり続けたのに。
呆然とするナンナとアレスを見比べて、リーンは踵を返した。
「…わかったわ。そういうことなら、これ以上邪魔しない。ごめんね…」
か細く消え入るような声に、ナンナは胸が詰まった。
けれど、彼女に感情移入している場合ではない。アレスの視線は、一点自分に向けられているのだから。
「…………」
ナンナは何を言って良いのか分からず、彼に視線を返す事もできなかった。
――リーフのことが好きだと言ったら、デートの尾行に一緒に来てくれると言ってくれて。
そんな親切の裏には、彼なりの葛藤があったのだろうか。…それに、気づきもしなかった。
アレスは、言葉に窮して俯いたままのナンナに、ふっと息を吐いて言った。
「――俺は帰る。今のは忘れていい。お前は尾行続けてろよ。せいぜいなんとか邪魔してやりな。」
「………!」
ナンナが何かを言おうと顔を上げるが、言葉が見つかるよりも先に、アレスの姿は雑踏に紛れて消えた。
ぎゅっと両手で拳を握って。
「…どうしろって、いうのよ…」
尾行を続けろ、なんて言われたって。もともと、気が乗らなかったこと。アレスが付いてきてくれると言うから、勇気が沸いたのに。
あんなことを言われて、そんなにすぐに平静に戻れるわけがないじゃないか。
答えを出すのに時間が掛かるのは当たり前なのに、もうタイムオーバーだとばかりに去っていってしまったアレス。
ナンナは、リーフ達の入った店の入り口をちらりと振り見た。
自分も、もう続ける気力なんてない。帰ろうかと思った。
…けれど、ぽつぽつと、何かに引き寄せられるように店内に足を向けていった…。
* * *
「う……、ふ…っく…」
広場の中央に設置されている、噴水の石段に、リーンは腰かけて膝に顔を押しつけていた。
思い通りにならない雫が、後から後から溢れ出てくる。
せめてアレスの前では、そしてアレスが好きだというナンナの前では、
こんな姿を晒したくなくて、なんとか意地を張ったけれど。
本当はそんなに、強い女の子じゃない。
――分かってる。中学時代の儚い恋なんて、もうとっくに消えていて当前だということ。
アレスが、自分を過去の女として忘れ去っているのも、当たり前だということ。
だけど、忘れられなかったのだ。
部活動の為に、別の高校に進学した自分を、アレスはそれでも好きでいてくれると、高校が違っても大丈夫だと言ってくれることを
期待していたあの時。けれど、アレスはあっさりと自分に別れを告げた。絶望に襲われたけれど、あの頃の自分には、
無様な姿を見せて追いかけるだけの勇気がなかった。
なのに、そんな中途半端な別れ方をした彼のことを、いつまでも忘れることができなくて。
他の誰かに目を向けようとしたことだって、もちろんあった。それでも、彼の面影が消えなかった。
偶然にも再会を果たし、思わず運命を感じてしまったけれど――それは、自分だけのようだった。
膝に突っ伏して腕に顔を埋め、リーンは涙で全てを流してしまうかのように泣き続けた。
――すると。
「あの…大丈夫ですか?」
「えっ」
頭上から掛かった声に、リーンは思わず、ぼろぼろの泣き顔なのも忘れて顔を上げてしまった。
厄介事からは極力逃げようとする人間ばかりなのに、声を掛けてくる人がいるなんて。
背の高い、同じくらいの年齢の青年は、リーンを見て驚いたように目を瞠った。
「う、うわっ、すいません、俺、てっきり具合でも悪いのかと…。…な、泣いてるなんて思わなくて…」
「………」
あわてふためく彼のことを、リーンは大きな瞳で見返した。
アレスとは正反対だ。いかにもお人好しそうで、正直者。
リーンは涙も忘れてクスッと笑った。
「いいえ、ありがとうございます。大丈夫です」
彼は申し訳なさそうに少し頭を下げた。
「いえ…、こんな可愛い女の子を泣かせるなんて、どんな奴の仕業なんでしょうね」
「あら」
いかにもな軽薄な台詞であるのに、彼が言うとそう聞こえない。
純粋にそう思ってくれているのだと、素直に思える。
リーンは嬉しそうに目を細めた。
「…それじゃあ、せっかくですから、逆ナンパされてみませんか?」
「はっ?」
びくりと目を瞠って肩を跳ね上げる。
リーンは埃を払いながら立ち上がった。
「あたし、リーンって言います。」
「あ、…俺はデルムッドです。」
リーンに気圧されるように、彼は名乗った。
「デルムッドさん、一緒にお茶でも飲みません?」
するりと腕を組んで、リーンは彼の腕を引っ張る。その強引さに、デルムッドも思わずといったように付いてきた。
今までアレスのことを忘れられなかったのは、彼以上の男がいなかったからだ。
本気で探せば、いくらでももっといい男がいるはずではないか。
彼にこだわらず、もっと、色んなタイプの人との出会いを持てば。
リーンはいっそ開き直ったようにそう思った。
――今はなんだか、赤く腫れた目元さえ、愛しい。
* * *
ところで、本題の買い物中の三人は。
ティニーが目的の商品を見つけて、レジに持って行っていた。男達は、荷物を運ぶところまでは手伝ったけれど、
お金を払う段になるとすることはなくて。ティニーの意識から自分たちが完全に外れたのを見て取ると、
リーフはぎろりとセティを見た。
「ちょっと、汚いんじゃないの?わざわざつけてくるなんて。」
「誤解だよ。偶然だと言っただろう」
セティはしらっと言い切る。
そんなセティを、リーフは皿のような目で見遣る。
「白々しいよ。…一度のデートくらいいいじゃないか、僕にチャンスをくれたって。」
「いいわけないだろう。そちらこそ、歴とした恋人を差し置いて横やりを入れようなんて、悪趣味じゃないのか?」
そもそも、このデート自体謎なのだ。ティニーはリーフと初対面のようだった。なのに、一体どこでデートの約束を取り付けたのか?
互いに小声だが、間に流れる空気はびりびりと感電せんばかりである。
リーフはふんっと鼻を鳴らした。
「どうだか。本当に恋人同士なの?」
「なんだって?」
「――どっちも、好きだって告白はしてないって?」
「………!!」
セティは絶句した。――どうして、そんなこと知っているんだ?
実は彼の言うとおり、何度かデートをしてキスまでしておきながら、互いに好きだとか愛してるとかの言葉はなかった。
…別に、言いたくないとか好きでないとか、そういう問題ではなく。
ただ、タイミングを逃してしまっているのである。
「こ、言葉にしているかどうかの問題ではないだろう。想いが通じ合っていれば――…」
あくまで無表情を装っていながらも、セティの表情に僅かな動揺が走ったのを、リーフは見逃していない。
「通じ合っているなんて、あんたの一方的な勘違いだったらどうするんだよ?」
「…っ」
言葉がない。
好きだと云おう云おうと思いながら、今の今まで言えずにいたのは、もしかしたら…という気持ちがないわけではなかったからだ。
最初は勉強を教える報酬だったはずの差し入れが、当たり前のようになり、休日の勉強会がデートになり…。
いつのまにか自然にそうなっていた関係を、本当にティニーも『恋人同士』と思っているのか、実は完全な自信はなかったりする。
もしも「好きだ」と告げて、途端に「何言ってるんですか?」なんて言われたら…と思うと、つい後込みしてしまうのだ。
冷静に考えれば、恋人同士でないはずはないのだ。だが、まさか、もしかして――…と。
本気で命がけだからこそ、不安になる思いがある。
リーフに追求されていくにつれ、胸の奥に潜んでいた不安が表に出てくる。
思いこもうとしていた自信が剥がれ落ちてくる。
「恋人面しておきながら、偶然だなんて嘘なんかついてごまかして、ティニーを騙しているくせに。
…ティニーと一緒にいたいと思っているのが、自分一人だなんて思うなよ。」
ぐぐっと拳を握り込んだセティに、リーフが突きつけた。
「僕だってティニーが好きだ!」
――どさっ。
何かが地に落ちる音がして、ハッと二人は振り返る。
会計を終えたティニーが、リーフの告白をしっかり耳にしてしまったのだ。
ティニーは目を大きく見開いて、リーフなのか、セティなのか、どこか宙を見つめていた。
「あ…、ティニー…」
気まずげにリーフが呼びかける。
ティニーには、どうしていいか分からなかった。だって、リーフのことを知ったのは今日が初めてなのだ。
(本当は図書室で会ったこともあるが、ティニーはそこまで覚えていない。)
…どこで好かれたのかもわからないし、突然そう言われても、なんと言って良いのかわからない。
――彼のことをよく知りもしないのに、好きだとか好きでないとか、分かったようなことは言えない。
(でも…)
でも、自分はセティのことが好きなのだ。だから…
縋るような瞳でセティに視線を向ける。が――…
目が合うなり、セティは気まずげにサッと目を逸らした。
「………!」
ティニーはそれに愕然とする。
足がわなわなと震えて、その場にいることができなくなった。
踵を返すと、荷物も忘れて駆け出す。いつもなら絶対にしないけれど、人にぶつかるのも気にせずに、
全速力で人混みの中を走り抜けエレベーターに乗り込んだ。
「ティニー!」
逃げ去っていくティニーを、追いかけようとした腕をセティに掴まれる。
「離せよ!」
叫んだが、セティの瞳に射抜かれて思わず怯んだ。
「――行かせない」
セティの眼光は、追いつめられた獣のようで。引き留めると言うより、むしろ殺されそうだった。
「………」
リーフはそれに、一瞬動きを止める。
すると、すっと近付いてきて横に立った人影があった。
「…リーフ先輩、行きましょう…?」
「え…」
リーフがその声に振り向くと、そこにいたのは中学時代からの知り合いであるナンナだった。
ナンナの父親がリーフの父親の経営する会社に勤めていて、その関係のパーティーをきっかけに知り合ったのである。
ナンナはどこか青ざめた顔で静かに告げた。
「今日は…もう、やめたほうがいいと思います…」
「………」
――どうして彼女がここにいるのか?
疑問が浮かび上がるが、ティニーを追う気力も無くなっていたし、どこにいってしまったかもわからず、
とりあえずのところは彼女に従うことにした。
二人が去っていくと、一人残されたセティは、ティニーが置いていった床に散らばった荷物を拾い上げ、
それを肩に引っかけて一人その場を後にした。
* * *
「…うわぁ、さすがにここまでシュラバるとは思わなかった…」
一部始終をしっかりその目に治めていた男がいる。
怖い怖いと両の腕をさするけれど、その目は明らかに愉快そうだった。面白くなってきた、と
わくわく瞳が輝いている。
彼らの三角関係を煽ったのもそうなら、セティやティニーから二人の恋愛事情を強引に聞き出しているのも、
リーフにその話を漏らしているのも、もちろん全てこの男、セリスである。
その彼に、おどろおどろしい気配を伴って近付いてくる影がひとつ。
「…なにを、しているんでしょうね、生徒会長?」
「え…う、うわっ!」セリスは振り返るなり、びくっと身体を縮こまらせた。「い、イシュタル…」
学園の生徒会長はセリスであり、学園を牛耳っているのであるが、実は影の権力者とも言われるのが、生徒会実行委員長のイシュタルである。
美麗に浮かべた艶やかな笑顔が、かえって恐ろしさを煽る。
「な、な、なんでここに…」
イシュタルは、セリスが苦手とする数少ない人物のうちの一人であった。
「ティニーのマネージャーを務めている様子を見ようとテニス部を訪れたら、あなたが何やら感心できない計画を立てているのを
聞いてしまってね。わざわざこうして、様子を見に来たというわけだけれど…」
笑顔は相変わらずであるのに、きりきりきりとどこからともなく不吉な音が聞こえてくる気がする。
セリスはぶんぶんと首を振って弁解した。
「い、いやっ、僕はただ、可愛い従弟であるリーフの恋路を応援しようとデートを取り付けただけで!あとの連中は勝手に…」
言い終わる暇もなく。
――スパーーーーーンッ!!
小気味良い音が、デパートの3階スポーツ用品売場前の階段脇で響き渡ったという…。
…人の恋路を邪魔する者は……なんとやら。
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