ユグドラル学園草子セティ×ティニー後日談・初デート編










 夏がやってくる。
 夏休みを目前に控えて、暑苦しくなってきた教室、六限目の終わった休み時間。
「あ〜あ、お腹空いたな〜」
 ――この時間が、一番お腹が空く時間なのよと、食欲旺盛なフィーは言う。
 もともと文化系で、大食という言葉には縁のないティニーには、そこのあたりはよくわからないけれど、運動部で活躍するような活発な人はそうなのかもしれないと、最近学んだことだった。
 他の生徒達よりひとまわりふくれたティニーの鞄に、じーっとフィーの恨みがましい視線が注がれる。
「…フィー…」
 ティニーは困ったように笑うけれど、フィーはつんと唇を尖らせて不平を言い始めた。
「いいなぁ〜、ずるいなぁ〜、お兄ちゃんばっかりぃ。ティニーの愛はあたしにはないのかなぁ〜…」
 ティニーは始め、断固として耳を貸さない体勢でいたけれど、やがてちらりとフィーを見て、ひとつふたつ瞬いて考えた。
「………一切れだけよ?」
 小さく言って鞄に手を伸ばすと、フィーの瞳がぱぁっと輝いた。
 ティニーの手はゆっくりと鞄を机の上に置いて、中から包みを取り出す。
 せっかく綺麗に結ったリボンが汚くならないように、そっと解いて、中からフルーツサンドを一切れ、フィーに差し出した。
 それを受け取って、フィーは満足げに噛みついた。
「やぁ〜ん美味しいっ!ティニー最高〜v」
「本当?よかった」
 ティニーはいそいそとラッピングを元に戻しながら、嬉しそうに微笑む。
「お兄ちゃんはいいなぁ、こんなの毎日食べてるんだもん!幸せ者〜」
「そ、そんな…」
 ティニーはぽっと頬を赤らめて、横髪を耳に掛ける仕草をした。
「あたしもこういうお嫁さんほしい」
 フィーが冗談めかして言うと、ティニーはきょとんとして言った。
「…フィーがもらうのは、お嫁さんじゃなくて旦那様でしょう?」
「じゃあ、料理の上手な夫を持つわ!」
 ティニーはくすくすと笑いながら、
「…アーサーお兄さまは、お料理音痴よ」
 ――とからかって、フィーに怒られたのだった。



「――なるほど、それで今日はいつもより心持ち少ないのか」
 経緯を聞いて、セティは納得したように頷いた。
「あっ、ごめんなさい。…足りませんでした?」
 心配そうに乗り出してきたティニーに、セティは手元のサンドを一口千切って、彼女の口の中に放り込んだ。
「…あ」
 驚いて口を塞ぎ、もぐもぐと咀嚼するティニーに、セティは楽しげに微笑う。
「いやいや、十分だよ。フィーが迷惑掛けてすまないね」
「あ、いえ…」
 セティのした行為と笑顔に、ティニーは少し赤くなった。
「…今度からは、フィーのための分も作ってこようかしらって…」
 取り繕うように言うと、セティがきっぱりとそれを拒否した。
「それは駄目だ」
「――どうして…?」
 意外そうに聞き返すと、セティの真剣な瞳がティニーを捉えた。
「私の特権を取られるのは困る」
「…………」
 ティニーは一瞬呆然として、それから居たたまれないくらい赤くなった。
「……セティ先輩、わがまま」
 視線を合わせられず、ぼそっと呟くと、頭上からセティの笑い声が聞こえた。
「そうかもね」

「セティ、始めるよ〜」
 部長であるセリスが、コートの中から大声で呼びかけてきた。
 セティはティニーにサンドの入っていた袋を返すと、膝に落ちた食べかすを払いながら立ち上がった。
「今行きます!」
 セリスに返事をしてから、再びティニーの方を振り向く。
 …少し、躊躇うように黙ってから。
「……今週の日曜、用事ある?」
「え?日曜…ですか?」
 ティニーが不思議そうに見上げる。
「部活が休みなんだけど…よかったら、花火大会一緒に…行かないか」
「―――…」
 ティニーは何かを言うような体勢で口を開いたまま固まった。

 デート。

 頭の中にドンッと降りてきた単語を、ティニーは天にも昇る気持ちで何度も読み返した。
 …そう、たとえて言うのなら、周囲に小さな妖精さん達が踊っているような感じである。
 ぽけっと黙っていたティニーに何を思ったか、セティが気まずげに頭を掻く。
「あ…いや、その…用事があるなら、いいんだけど…」
 ティニーは慌ててぶんぶんと首を振った。
「あ、ありません!なにも…っ…あの、平気ですっ」
 力一杯否定したティニーに、セティは嬉しそうに微笑んだ。
「そう?よかった…それじゃ、えっと…」
 ちらりとコートの方を振り返って、慌てたように言い置いた。
「―――電話するよ」
 ばたばたと走り去っていくセティをぼーっと見送りながら、ティニーはドキドキと胸を高鳴らせていた…。



 ティニーがセティと想いを確かめ合って、早1ヶ月半にもなるだろうか。
 その間、セティの部活が忙しいせいもあり、デートらしいデートをしたことは実は一度もなかった。
 試験前の勉強会が、それに近いと言えば近いかもしれないが…、名目が色気のないものだけに、デートと言っては悲しいものがある。
 ―――つまり、これが初デート。なのである。

 近くの川辺で行われる花火大会は、近辺では有名な大きな花火大会である。
 ティニーも、受験生であった去年を除けば、ほぼ毎年見に行っていた。
 一昨年も、女子校時代の友人と、(礼儀正しくも)保護者の引率付きで遊びに行ったものだ。
 …けれど、家族以外の男の人と行くのは、もちろん初めてである。
「ねえ、お父様。いいでしょう?私も高校生になったのですし」
 夜になってしまうデートに、父はあまり良い顔をしなかったけれど、熱心な娘の懇願に、ついに首を縦に振った。その裏には、相手が風紀委員長といういかにも真面目そうな肩書きを持っていることが功を奏していたりする。
 なんだか一歩大人になったような気さえして、ティニーはますます胸を高鳴らせる。
 一昨年の夏以来、しまい込んでしまった浴衣を出してきて、部屋に広げた。
 可愛らしい花模様のそれは、大きめの物を買っておいたお陰でまだ着れそうだけれど、…少しデザインが幼い気がしてきた。
(こんなことになるのなら、新しいのを買っておけばよかった…)
 もう今週末では、ゆっくり新しいのを買っている暇なんてないではないか。
 ティニーはじっと浴衣を眺め、セティのことを思い浮かべた。
 ―――どんな格好でも「似合うよ」と言ってくれるような気もするし、気に入ってくれないような気もする。
 いっそ洋服の方がいいだろうか、でも…と考えを巡らせて、
 その夜は結局、遅くまでよく眠れなかった。




 当日の夕方、ティニー宅のチャイムが鳴った。
「お嬢さんをお借りしていきます。必ず遅くならずに送り届けますから」
 こういう几帳面な挨拶を、玄関に出た母ティルテュに向けたそうで、ティニーを呼びに来たティルテュは愉快そうに笑っていた。
 自室から階下に下りる途中、階段の壁に掛けてある鏡に自分を映し、着物や髪の乱れをチェックした。
 パタパタと下りていくと、開いた玄関の向こうに影が見える。
 用意しておいた下駄を履いて、外に出るとすぐ、セティと目が合った。
 彼はしばしティニーを見つめていて、少し目を細めた後、ふとはにかんだように目を逸らした。
(…あら?)
 セティのことだから、何かしらの感想があるだろうと予想していただけに、ティニーは拍子抜けして首を傾げて、セティの後ろを付いていったのだった。
(…き、気に入らなかったかしら…)
 高鳴る鼓動は色合いの違う痛いものに変わっていく。
 …けれど、セティがすっと手を伸ばし、巾着を持っていない方のティニーの手を握り軽く引いたので、またティニーの心は掻き乱された。
 薄暗くなってきた空を背景に、あまりこちらを見ない彼の横顔が綺麗だと思った。


 河原にはたくさんの夜店が出ていて、それまで非常に大人しかったティニーが、途端にはしゃぎはじめた。
 ひらひらと笑顔を振りまきまくるティニーの姿に、セティは保護者のような気分になってついていく。―――初めて見る彼女の一面だ、と思った。
 とはいえ、こう言うときに妹のフィーだったら、両手いっぱいにわたあめだのたこ焼きだの焼きそばだのを持って歩き回るのだろうが、どれにしようか念入りに一つだけ選んで、それを買ったらきちんと座ってゆっくり食すあたり、やはり彼女らしいと思う。
 ちょうど小腹が空いたところだったので、セティもティニーと一緒に今川焼を買って食べた。
 …実は特にそれが好きなわけではないのだが、父の教えに従うと、曰く「女性に金を使わせるな」ということだったので、最も自然に奢れる形を選んだのである。「奢るよ」よりは、「買ってくるよ」の方が言いやすいから。
 案の定、ティニーはそれを受け取るときに、一度セティをそっと見上げたけれど、セティが笑って頷くとそれ以上言及はしなかった。
 ちなみに、ティニーの興味は食べ物に限らず、射的の賞品にも向けられて、その時も同じく、セティは父にコツを聞いておいて良かったと心底思った。
(ティニーに射的なんてやらせてたら格好悪いし、まして何度やっても取れないんじゃ情けなすぎるじゃないか)
 もともとあまりこういう遊びをするタイプでなかったため、必至になって父親に教えを請うておいた甲斐はあったといえよう。口頭で教えてもらうだけでは心許なかったが、さすがあらゆる遊びという遊びに精通している父だけあって、意外と役に立った。
 そんな影の努力などつゆ知らず(知られては困るが)、ティニーは賞品のぬいぐるみを抱きしめてご満悦。
 ちらり、手が繋げなくなったなと思ったけれど、嬉しそうな彼女の笑顔と引き替えならば、それも悪くないかと思い直した。


 ―――ドーン、パラパラパラ…
 華やかに空を彩る大輪の花。
 次々と打ち上げられる花火に夢中になって、ティニーは首が痛くなるほど上を眺め続けていた。
 …お陰で、初めてじっくりと彼女の浴衣姿を見ることができる。
 実は、今の今まで、直視できなかったのである。
 花火大会と言ったら、(特に女の子は)やっぱり浴衣。
 セティの偏見かもしれないが、ティニーならきっと着てくるだろうと期待していないでもなかった。
 普段の制服も、時々勉強会の時に見る私服も非常に可愛いけれど、浴衣は新鮮味もあって、一際セティの目を引く。
 薄暗い中では鮮明には見えないけれど、そのせいで余計に、襟から白く浮かび上がる項が眩しかったりする。
 知らない内に凝視していて、ティニーがこちらを振り返ったときも、きらきらした瞳に視線が縫いつけられて離れなかった。
 ティニーは嬉しそうに微笑んで、セティの耳のすぐ側で言った。
「綺麗ですね」
 言葉を象る唇が、つやつやしている。
「ん…ティニーの方が綺麗だよ」
「…え?」
 ティニーが驚いたように瞬く。
 その反応を見て初めて、セティは我に返った。
 意識せず、ぽろっと出た言葉。
 思わず頬を朱に染めたけれど、辺りが暗いお陰で、多分気付かれずに済んだ…と思う。
 ティニーははにかんだように少し顔をうつむけて、そそっとセティに寄ってきた。
(かわいい…)
 頬を緩め、身を屈めると、ティニーも躊躇いがちに顔を上げた。
 顔を近づけて、セティは間近で見て初めて、彼女が薄く化粧をしていたことに気付く。
 …学校では禁止されているけれど、それでも化粧をする生徒は少なくない。
 だが、風紀委員長を恋人に持っては校則違反なんてできないと、ティニーは笑っていた。
 取り繕わなくても十分に美しいティニーを見るのが大好きだったけれど、…たまには、こんなのもいい。
 それも、自分のために飾ってくれたのだと思うと感慨も一塩だ。
 ほんの少し、いつもより大人びた彼女を見つめて。

 ――口づけた唇も、少しいつもと違う味がした。