「キスしてもいいですか?」


士官学校の放課後、手作りのヌガーを届けに来たセシリアは、それに合わせて休憩を挟んでくれ たパーシバルとソファに座って談笑していたのだが、いきなりそう問いかけた。
それに対しエトルリアの若き雄。騎士軍第一師団指揮官ガイアーノ准将は、甘い物が苦手な自分 に合わせてくれたのだろう、コーヒーの風味漂う控えめな甘さに抑えられたヌガーを頬張ろうと口を 開けたまま、停止した。
それを見て、セシリアはにこにこと翠緑の瞳を細めて笑うばかり。


「…何?」

「キス」

「お前が、私と?」

「他の人としろと言われるのでしたら、涙を飲んでそうして差し上げてもよろしいですけど」


それって、何かパーシバル将軍の得になりますかしら?
悪戯っぽく笑うセシリアに、パーシバルは口に入れかけたヌガーを皿に戻した。


「汚いですよ」

「まだ口に入れていない」

「もぅ」


至極なんでもない様子のセシリアに、パーシバルは両肘をテーブルに立てて、手を組み合わせ、 その上に鼻梁を当てるようにして目を伏せた。
見る者が見ると、それはキスを怖れて唇をガードしているようにも見える。
セシリアは、さして本気の言葉ではなかったのか、パーシバルの様子など気にも留めずに紅茶の 入ったカップを口元まで持ち上げて、香る湯気を満足げに吸い込んだ。




全く判らない。
何を考えての発言だったのか。
何も考えていない、ただ自分をからかおうとしていただけなのか。
だとすれば、ここまで動揺を露にして見せたのだから、セシリアも満足だろう。

パーシバルは、七つも年下の少女と言える年齢の子供相手に、全く情けなくも混乱に極みに突き 落とされていた。

セシリアが何を考えているのか判らなくなったのは、つい最近のことだ。
前は―と言っても、以前は今ほど親しくはしていなかったのだが、それでも時折上司であったジル 将軍の屋敷を訪ねる度に恥らいながら挨拶をくれた少女は、ただ愛らしくて―それだけだったの に。
何を考えているかなどと、悩まされることはなかった。
尤も、それほど彼女が何を思うか知りたいとも思っていなかったのだが。
何にせよ、同じように子供の頃から知っているクレインは、今でも大概は何を考えているのか見れ ば判るというのに―これが、男女の差というものか?
こんな年で女も男もあるものか。全く恐ろしい。



チラリ

セシリアを見上げれば、にこりと微笑みが向けられた。



「このヌガーは、くるみでも入れているのか?香ばしくて…」

「普段お菓子なんかに興味を示さないくせに、わざとらしすぎる話の逸らし方はやめて下さいね」

「…………」


口では絶対に勝てなくなったのは、いつからだろうか。
パーシバルはとりあえず紅茶で喉を湿らせて、少しでも対抗できるようにと臨戦態勢を整える。
あぁ、そうだ。この重圧は、王子にそっくりだ。
そんなことを思いつつ、パーシバルは極力威厳を保てるようにと咳払いをして、低く声を出した。


「セシリア、女性が自らそういうことを口にするものではない」

「パーシバル将軍に、お行儀がどうのは言われたくありませんからね?
口に一度入れたものを出すなんてことをするんだから」

「だから、入れてない。と…そうではなく……」

「キスしたくなったのだもの。許可を求めているだけ、偉いと褒めるべきですわ」

「誰が褒めるか」


何なんだ。どういう意図があるんだ。
キスなんて、別にここまで勿体ぶるものではない、セシリアがそれで気が済むならさせてやったっ て構わない。



否―正直、今まで一度だってそんなことを言い出したことのないセシリアが、自分からキスをする のだと言っているのだから、嬉しく思う部分もあるのだ。
初めてキスをした時など、耳から首まで白い肌を真っ赤にしてしまって、どうしたものかと思った。
手の甲や頬へのキスなら、貴族の女性らしく慣れていても、唇同士を合わせるのは、結婚式の誓 いの場で初めてするものだと信じていたらしい。
そんな可愛いことを言いながら、どうしてくれるんですかと終いには泣き出したセシリアが―


「ね?キスしていいでしょう?」


可愛い顔で、どこで覚えてきたんだか上目遣いなんかしてみせて…


「あぁ、もう…好きにしなさい」

小娘一人に完全敗北を喫するようでは、数年後には騎士軍将を任せたいと打診してくださってい るセシリアの父上の期待にはまだまだ応えられそうにない。
パーシバルは、すみません。と、何について誰に対して謝っているやら、心の中で謝罪した。

セシリアがテーブルの向こうから、こちらのソファに移動してきて、パーシバルの片足を跨いで其 処に腰を落す。
それから、とても楽しそうに笑うと、こっち向いて下さい。と頬を両手で掴んで顔を上げさせた。


「それじゃあ、目を閉じて…」

「はぁ?」

「もぅっ!キスされる時は目を瞑るくらいして下さいよ」

「あぁ、判った判った」


もうここまで来たら言いなりでいい。
パーシバルはセシリアに求められるまま、瞳を閉じた。






ふに



「はい、もういいですよ」

「は?」

パーシバルは唇に当たった一瞬の感触と、すぐにかけられたセシリアの声に目を開けて、思わず 唇に手を当てた。
今の?
キス?

「パーシバル将軍の唇、意外に柔らかいですよね」

「否、お前今の指だろう」

「えっ!」

得意満面だったセシリアの顔が、一気にうろたえる。
パーシバルは、だんだんと事情が飲み込めてきた。
また、何処の誰がくだらない悪戯を入れ知恵したのか…

「セシリア、キスの仕方が分からなかったのかな?」

「ちがっ…!何で分かったんですか?」

「キスの仕方も分からない子供の正に子供騙しに引っかかるものか」

「子供、子供って…別に、キスの仕方くらい分かりますよ!」

「だったらしてみるか?」

ようやく逆転できた形勢の優位に、パーシバルはにっと口の端を上げてみせた。
セシリアが、真っ赤になって俯いた後で、きっともう一度目を瞑って下さい。そう言い出すだろうと 分かっていて、パーシバルは膝に乗ったセシリアの腰に手を回す。
誰が馬鹿げた入れ知恵をしたのかを問い詰めるのは、初めての彼女からのキスを味わった後に しよう。
そう決めて、意志を決めた翠緑の瞳が、きっとこちらを見上げたのに、眉を上げてみせた。




午後のお茶の時間はあと十分。
最後に一番甘いお菓子を頂こう。