誓い






一人の聖なる乙女が新たなる力を受け入れる。
人はその光景に女神が降臨したのではないかと見紛う程であったと言う。

彼とはもうどれだけ話をしてきたであろうか。けして口数の多い人ではないが、その厳しい表情とは別に何故か安心できるものを彼は持っていた。
知らず知らずに彼が自分の傍らにいたということにまだ彼女は気付くことは出来
なかった。

「お前はその魔道書で、人を殺すことが出来るのか?」
 シヴァの突然の言葉にサフィは躊躇した。彼女の手には、高位の司祭のみが扱える「光の魔道書」があったのだ。サフィは高位の司祭の洗礼を受けた。もちろん彼女の慈悲深き心や信仰心の厚さは、彼女に接してきた人間全てが知るところであり、そして何よりシヴァはそんな彼女に救われた人間の一人でもあった。高い階位に昇ることを否定する人間など存在しなかった。
 だが、それと同時に彼女は己に生殺与奪の権利を得たことになった。もちろん、サフィ自身そのことは承知の上である。サフィは、彼女と二人きりで話す時のシヴァが核心的な話をよくすることを知っていたが、今の内容ほど返答につまるものは今までになかった。
「私は神を信じています。だからけして無駄にこの魔道書を使いません」
 だが、シヴァの言葉は厳しかった。
「答えになっていないな、俺は単刀直入に聞いたつもりだ」
 サフィには判らなかった。けして愛想の良い人間ではないシヴァだが、彼がこの様に問い詰める光景など一度も見たことはなかった。だが、けして言い逃れ出来る状況ではないことをサフィは感じていた。そして彼女は言った。
「正直に言えば・・・判りません」
 彼女の表情が戸惑いから憂いに変わる。
「高位の司祭の叙任を受けることが出来ると聞いた時は分不相応であると感じましたが、私自身をより高めることが出来るのであればもっとたくさんの人が救える、そう信じて叙任を受けました。もちろん魔道書を持つことも覚悟の内でした。でも、やはり考えれば考える程、私はこの書を使うことが出来るのかどうか・・・」
「甘いな・・・」
 シヴァはさらに残酷な言葉を浴びせた。
「他人を救う為に自分を高める、その結果に得た人を殺める力。その力がなければ救えない命も存在する。こんな時代だ、それは違うことない事実だ。そこから目をそらすことは既に許される身ではないのだ。それを理解せずに他人の命を救うだの、絵空事に等しい」
 シヴァの言葉は確実にサフィを追い詰めていた。今まで信じてきた自分の存在価値をも否定される思いだった。それもいつも近くで自分を口数は少なくとも強く励ましてくれた人間にである。
「私は・・・言葉だけの人間なのでしょうか?」
 目の前にいる男の目を直視しることも出来ず、サフィはまるで呻き声を発するが如くシヴァに言った。
「それは自分で考えるか、お前の信じる神にでも聞くがいい」
 吐き捨てる様に言うシヴァに、この時ばかりは普段は温和なサフィが語気を強める。
「神を冒涜することは許しません!例えシヴァさんであったとしても」
 だが、この言葉はシヴァの感情を逆撫でするだけであった。
「お前が言う全能たる神が存在するのであれば、何故争う人々がいる?何故飢える子供達がいる?全てを神の名のもとに解決しようとするその考え方が俺は気に食わないのだ」
 その瞬間、シヴァは自らの頬に痛みを感じた。もちろん彼ほどの歴戦の人間にとっては蚊に指された程度にしか思えぬ痛みであったが。だが、自らに手を上げた者に対しシヴァは目に怒気とともに残酷な色を浮かべてサフィの肩に手をやるとそのまま彼女を押し倒した。
「きゃあ!!止めて!」
 あきらかに彼女を蹂躙しようとするシヴァ行動にサフィは全力でそれから逃れようとするが、目の前の男に抗うほどの力は彼女にはなかった。悲しみと共に絶望が脳裏をよぎる、知らず知らずに目からは涙が浮かぶ。しかしそこまでだった。
シヴァの腕から力が抜ける。
サフィはその場から一刻も早く離れようと着る物も整えず、その場を走りさった。
残されたシヴァは自らがとった行動に、深い後悔と嫌悪を持たざる負えなかった。彼は深いため息をつくとその場を後にすることしか出来なかった。

レンスター城の一角、ターラの公女リノアンは走って自室に駆け込むサフィを見かけた。普段から落ち着いていてどちらかと言うと俊敏な動作をしないサフィには珍しい様子に、リノアンは彼女に何かあったのではないかと気にかかりサフィの部屋を訪れた。
「サフィ、入るわよ」
 すると慌てて目をこするサフィが椅子に座っていた。
「何かあったのサフィ?」
 心配そうに問うも彼女から返答がない。
「何かあったのね?お願い教えて、私に出来ることなら力になるから」
 主君であり、自分のことを親友と呼んでくれる女性の押しの強さに負けた部分もあったがそれ以上に気が動転していたのか、サフィはシヴァとのやりとりをリノアンに語った。その語調は酷く乱れており、強い自制の心を持っているサフィが今とても追い詰められている状況であることをリノアンは感じた。そして一通り話しを聞き終えると、その目に確実に怒りを浮かべサフィに言った。
「許せないわ・・・リーフ様にこのことを伝えて厳しい処罰を下してもらいましょう」
 サフィの両肩い手をやり、力強く言うリノアンではあるがサフィは首を横に振る。だがリノアンはさらに言った。
「こんなこと野放しにして良いわけがないじゃない!これからリーフ様にお会いしてくるからサフィはここにいて、いいわね!」
 そこまで言うと彼女は他のものに目もくれぬ勢いで部屋を飛び出した。
「あっ・・・お待ち下さい、リノアン様」
 リノアンを追いかけようとサフィをも外に出るが、既にリノアンの影は見当たらなかった。サフィが困惑していると聞きなれた声が聞こえた。血相を変えて出てきたリノアンとサフィを目の当たりにして若干の意外さを感じている表情をする
ディーンであった。
「ディーン様、リノアン様を止めて下さい!」
 まったく状況が理解できないディーンにサフィはさらに言った。
「私とシヴァさんのことでリノアン様がリーフ様に彼の処罰をする様にお話すると言って部屋を出て行かれたのです!私は困ると言ってお止めしたのですが・・・」
 サフィの動転ぶりに異様なものを感じてディーンは事態が明確に理解出来ないままリノアンを追った。

「ディーン?」
 リノアンを後ろから呼び止めると、ディーンは安心したように一息ついた。
「間に合ったか・・・サフィに言われてあなたを止めにきた。サフィ本人がリーフ様に話すことを止めて欲しいと言ったのだ。あなたの感情だけで物事を判断するとサフィ自身を傷つけかねない」
 リノアンは冷静になると共に、感情的になった自分を恥じた。確かにサフィにとってはあまり人に公になって欲しくないことであるかもしれない。
「ありがとう、危なくサフィを返って傷つけてしまうところでした」
 リノアンがそこまで言うとディーンは彼女を伴ってサフィの部屋に再度訪れた。
サフィは待ちわびた様に二人を迎え入れる。そしてディーンに礼を言った。
「礼がてらと言っては何だが、彼と君の間で何があったか教えてくれないか」
 実直な武人というイメージが強い彼らしい率直な質問であった。サフィとリノアンは顔を見合わせる。するとサフィはディーンと向かい合い、シヴァとのことの成り行きを話した。ディーンは一瞬意外そうな顔をするとしばらく考え込む。そして改めてサフィとリノアンに言った。
「このままではシヴァ自身がどう出るかがわからないな。彼は誇り高い男だ、一時の感情に流さ れてしまったことを後悔している様に思える。きっとこの軍を去るか、残るにしてもこれからこの戦いの、中でも最も激しい戦いになる中で命を落とさずにいられるかどうか・・・」
 シヴァはその驚異的な戦闘能力から、常に最前線で剣を振るっている。身の危険とは常に隣り合わせのところにいる以上少しの精神の乱れが命にかかわることに繋がるのは当然である。
サフィは背筋に悪寒を覚えた。シヴァが自分に取った行動への非難以上に彼の身を心配する気持ちの方が強かったのだろう。そんな様子を見たディーンはサフィに言った。
「シヴァはこの軍でも重要な戦力だ、ここで失うのは惜しい。だが彼のとった行動は間違いであるし、そのことを深く後悔しているのもまず間違いないと私は思う。ここは一つ私にまかせてくれないだろうか?」
 ディーンの言葉にサフィは強い信頼感を感じた。そして誇り高い男が誇り高いというシヴァが、あの時自分にとった行動に彼自身深い後悔を持っているということにも、半ばそうであって欲しいという願いを込めて信じることが出来る。
「・・・わかりました」
 サフィの言葉にディーンは黙ってうなずくとその場を後にした。
「きっとディーンのこと、なにか考えがあるのでしょう。彼に全てまかせましょう」
 リノアンもそう言うとその場を後にした。
サフィは精神的な緊張からようやく開放されると、体中に疲労感を感じずにはいられなかった。しかしながら、何故かシヴァのことが気になる自分がいることにようやく気付き始めるのであった。



 ディーンは迷わず一人の男の場所を訪れる。
 それはレンスター軍の最高首脳の一人、リーフ王子の側近中の側近であるフィンのもとであった。ターラ公主付きではあれ、身分としてはトラキアの亡命者という表向きの名目の男から見れば天上人の様な人間である。だがこのフィンという男は、軍のあらゆるところまで把握しており何事も軽んじない人間である。今回のサフィとシヴァのことも上手く対処してくれるであろうと思ったのである。
 既に周囲は闇につつまれており、食事を済ませた者達は既に休息をとってもおかしくない時間ではあった。しかしディーンがフィンの私室を訪れた時もフィンは多くの書類に目をやっていた。だが、彼は書類から手を離すとその歳からは想像できない若々しい容姿でディーンに語りかけた。
「珍しいな、こんな時間に・・・というより君自身が私を訪れるなど初めてのことだな」
 表情に緩やかさはない。だが、けして非友好的というわけではない。フィンという騎士にはこれまで味わってきた辛酸から、笑みを忘れてしまったのではないかと錯覚する気さえおこってくる。
「突然申し訳ありません、実は相談に乗っていただきたいことがありまして・・・・」
「相談?」
 訝しげなフィンにディーンが先ほどサフィから聞いた話をフィンに出来るだけ無駄な言葉を抜かして話した。すると、思わぬことに目の前にいる男は先ほどの表情からは一転、含み笑いをし始め、そうしてこう言った。
「あの男も意外に情熱的なところがあるのだな・・・」
 呆気にとられているディーンを見ると表情に柔らかさを残したままフィンは言った。
「だが確かに君が言う様に彼はこの軍を去る可能性があるし、このままでは重要な戦力を無駄な場所で失いかねないな。何せ彼はレンスター王家が送ろうとした「マスター」の称号を蹴った程の男だからな」
 確かにシヴァはレンスター王家から「ソードマスター」の称号を送られるはずであったが、彼は自分が他人の指導的な立場になることを嫌い、その号を受け入れなかった。
「私も彼ほどの男はそういないと思っております。戦場で背中を預けられる人間などそうはいませんが、シヴァになら預けることが出来ます。これから戦いの重要な局面において彼の様な人材がレンスター軍から流出することがあったら・・・逆にフリージ軍についてしまった日には、それこそ一大事です」
「わかる、で、私はどうすれば良いと思う?仮に彼が正規に軍を離れる為の違約金を私に渡すために訪れた場合、どうやって引き止める?」
 ディーンは憮然とする。
「それがわかれば私は相談などしておりません。それにある程度フィン殿には状況を把握していただいた方が後々の為であるからと思って話をしたまで。そこは名将と謳われるフィン殿に良案を思いついていただきたい」
『はっきり言う男だ』という感想を持ちながらフィンは言った。
「わかった、この件は私が何とかしよう。だがディーンにも一つ頼みごとをしたい」
「頼みごと?」
「ああ、イザーク軍からシャナン王子を迎えにいってもらいた」
 ディーンにはそれと今回の件の解決と繋がるものなのかと疑問に思った。そんなディーンを見やるとフィンは若干人の悪い笑みを浮かべて言った。
「これでやっとあの男にマスターの称号を与えることが出来るかもな」
 ディーンにはフィンの言っていることがまったく理解出来なかった。


 ディーンは翌日早朝、フィンから渡された書状を携え、リノアンに話もせずにレンスターを離れイザーク解放軍の駐留先に向かった。既にイザーク解放軍はアルスターを攻略していた。その報は既に伝えきいて知っていたが、改めて見るイザーク解放軍の精強な軍容に歴戦の勇者であるディーンも圧倒される思いにかられた。
 レンスターのフィンからの書状と伝えると、すんなりとイザーク次期国王シャナンに目通りが叶った。そしてシャナンはフィンからの書状に目を通すと笑みをもらしながらディーンに言った。
「まったく昔の貸しを返せと言わんばかりに・・・まあ古い友人の願いだ、聞き届けるのが筋というものであろう。幸いアルスターもひと段落したしな。今日にも発つ準備をしよう」
 剣聖オードの直系であるシャナン王子とフィンの関係を疑問に思いながらも、自分の仕事が上手くいったことへの安堵感を感じるディーンであった。
 シャナン王子とその護衛の人間は、ディーンの案内でレンスター城にやってきたのはその翌日早朝であった。そしてシャナン王子とフィンの面会の後、予想された事態がおこった。
 シヴァが軍を離れる為、フィンのもとを訪れたのである。そして自らがこの軍を去ることを話し、契約不履行に基づく違約金をフィンに渡した。
「シヴァ、もう一度考え直してはくれないだろうか?これからの戦いはフリージの正規軍の精鋭部隊との戦いになり益々激しさを増すときだ。君の様な剣士にこそ、これから共に戦ってもらいたい。我々としては出来る限りのことを君にしても構わないと思っているぐらいだ」
 フィンは最大級の賛辞をもってシヴァに対したが、彼は靡くそぶりなど微塵も見せなかった。
「今は剣を振る気がしない・・・このまま漫然として人を殺め続けて行けば、己の剣士としての誇りすら失いかねない。申し訳ないが去らせて貰いたい」
 傭兵にしては随分と理性的な発言をするシヴァに対してフィンはさらに続ける。
「以前君にレンスターとして、ソードマスターの称号を授与しようとした。間違いなく君は我が軍、いや北トラキア一の剣士であると言っても過言ではないと私は思った。だが君は自由な剣を求めた為にそれを固辞した。結果としてその選択が今の君の迷いに繋がっているのではないか?」
 シヴァの心に衝撃が走った。この目の前にいる騎士には自分の心が見透かされているのではないかと思う程に的確にシヴァの精神状態を言い当てたのである。
 俯き、沈黙するシヴァを見ながらフィンは再び口を開く。
「君の様な剣士が更なる高邁な領域に立とうとするのは当然のことであって、何もおかしいことではないのだ。君は自分のことを過小評価しすぎる。どうだろう、改めてソードマスターの叙勲を受けてみてはどうか」
 シヴァはけして首を縦に振ることはないことぐらいフィンには予想できた。だが今のシヴァの気持ちの中で剣士としての誇りがあまりにも弱っていることが大きな迷いになっていることが確実に悟ることが出来た。そこでフィンは問題の内容を切り出した。
「それが”彼女”に対しての謝罪になるのではないか?」
 シヴァは俯いていた顔を挙げ、驚きの表情を向ける。フィンはそれに対して無表情に頷く。そして立ち上がると窓の外に目を向ける。
「私はかつてある国の王女を愛した。それが叶わぬ想いと知りながら、しかし自分の感情に嘘などつけるはずがなかった。だから私はけして叶わぬ想いかもしれないが、せめて王女の側にいることに相応しい人間になろうと努めた。だが結果としてそんな自分の浅はかな思いがその人を深く傷つけてしまった・・・今となってはもう取り返しの付かないことになってしまったが」
 窓に映るフィンの鎮痛な表情にシヴァは共感の気持ちを得るのであった。そしてシヴァはフィンが何を言おうとしているかを把握することができた。
「・・・つまり、俺がソードマスターの称号を得ることが彼女の近くにいるに相応しい人間になれるということか?」
 フィンは振り返ると、無言で頷く。だがそれに対してシヴァは冷淡な苦笑を浮かべる。
「フッ、安易だな・・・それにこれではまるでサフィの叙任に嫉妬した自分が彼女にあたったみたいではないか」
 だが今度はフィンが冷淡になる番であった。
「図星であろう、私は君がこの軍に加わる時にサフィから説得を受けている君を見ていた。その時の様子が動かぬ証拠だ。君は間違いなく彼女に相応しい剣士になろうとしていた。それがどの様な感情から派生しているかは私にはわからない。だが、今君の感情が大きく揺れている原因は彼女にとった行動を許せぬ自分に対する憤りであろう。だからこの軍から逃げ出そうとしている、そうではないか?」
 自分の潜在意識にて混迷する感情の全てをこの目の前の騎士に言い当てられ、もはやシヴァには何も言えない状況であった。そんな彼をみやりフィンは言った。
「今この軍にイザークのシャナン王子が来られている。私は一人の男をイザーク王としてマスターの称号を与えるに相応しいかを見届けて欲しいと依頼した・・・・シヴァ、君のことをだ」
 それ以上はフィンは何も言わなかった。だが、既に何も言えぬ状況にあったシヴァには返ってありがたかった。
「・・・わかった、その話受けよう」
 フィンはゆっくり頷くと、シヴァをある場所へ促した。



 そこはかつて栄光のレンスター槍騎士団の連兵場として使用されていた場所であった。フィンの案内のもとそこへ訪れると明らかにトラキアの人間とは違う衣を纏った人間が数人いる。その中に一際違う存在感を放っている人間がいた。長身で腰まで届くほどの黒髪、端正な顔立ちの中に研ぎ澄まされた刃物の様な瞳を持つ男、その者こそ次期イザーク国王シャナンであった。
シャナンはフィンを確認すると、その時の印象とはまったく違う友好的な表情に、人によっては幼さすら感じさせる雰囲気で近寄ってくる。だがそれでも威風堂々とした風格は変わらない。
「フィン、待ちわびたぞ、こちらはいつでも戦える」
 フィンはそんなシャナンに珍しい笑みを浮かべて応える。
「相変わらず好戦的ですね。それでは一国の王としての器量が疑われますよ」
「何を言っている?そちらの願いを受けているのはこちらなのだぞ、この後はフィンと剣を交えたいくらいだ。少年時代の借りを全て返したいくらいなんだからな」
 シヴァはどうやら二人は旧友であるとうことにに気付いた。経緯などはもちろん深く詮索している暇は今はなかった。
フィンはシヴァを促すと両者を紹介する。
「彼がマスターの称号を受けるに相応しい人間かを判断していただきたい者、名はシヴァと言います」
「よろしく」
 シャナン自ら握手を求める。その眼光は確実にシヴァ自身の技量を確認しようとする視線であった。シヴァ自身、既にこのイザーク王子の実力が計り知れぬことを感じていた。
「・・・よろしくお願いします」
 シヴァは握手を返す。その手に汗は握っていなかったが、彼の全身は既に緊張とある意味恐怖に近い感覚に襲われていた。目の前のイザーク王子はどうやら本気であることに気付く。
「もし、シャナン王子の目に叶う力量であれば、イザーク王の名の下にマスターの叙勲を受けることになる。良いか、シヴァ?」
 それが剣士であればどの様なことなのか、知らない人間はいなかった。剣聖オードの直系より叙勲を受けることが剣士としては最高の名誉であり、大陸全土にその名は轟くであろうことはまず間違いない。特にそれが聖戦士の血を受け継がない人間であれば尚更のことである。
「承知した・・・」
 シヴァは無駄な言葉を言わずに端的に応える。
「私はすぐに戦えるが、君は大丈夫か」
 シャナンの言葉にシヴァは一瞬の沈黙の内に返答した。
「少し時間をいただきたい。すぐにこの場に戻ります」
 そういうとシヴァは連兵場を後にする。
フィンは一瞬あっけにとられたがその様子に気づいたシャナンは言った。
「確かにフィンが見込んだように彼は超一流の剣士だな。それも動物的感覚が恐ろしいほどに研ぎ澄まされている・・・あの様な男大陸中を捜してもそういるかどうか・・・」
 シャナンの剣気に飲まれることなく冷静に自分の今の状況を捉えた結果、シヴァは一度退出して己の精神統一を図ろうとしているのだろうとシヴァの相手は言った。
だがそんなシャナンの言葉に、その場に同行していたシャナンの従兄妹にあたるラクチェは言った。
「考えすぎではないですか?だいたいシャナン様に剣技で勝てる人間なんているわけないじゃないですか!」
 力強く言う従兄妹に対してシャナンは笑みを浮かべて言った。
「そうとは限らんぞ、世の中広いからな。でもそういう人間が存在しないと面白くないというものだな」
 不服そうなラクチェにシャナンは言った。
「まあ、見ていなさい、私も本気でやらさせてもらうからな、良いのだなフィン」
 フィンは無言で頷いた。
 シヴァは己の精神が乱れていることを重々承知していた。故に冷静になる為に一度あの場を後にした。まさにシャナンの言っていたどおりの結果であった。
 剣聖オードの直系、イザークの剣技、そしてシャナン王子自体の剣士としての力量、全てを推し量ることは出来ない。しかしシヴァには彼の戦いの中で培った剣技がある。そしてそれに対する自尊心もある。だが今は全てを無の境地に自らを置くことのいより、戦場での限界の場で発揮される潜在的能力を発揮しようと自らの中で想像するのであった。
そしてシヴァの中でも完全な剣士としての本能と己の剣技が結びつく。彼は再び練兵場に戻る覚悟を決めた。


 シヴァが戻ると練兵場は騒然とした状況にあった。シャナン王子がその神技に等しい剣技を披露するということで多くの人間が集まっていたのである。その中にはリーフの姿もあった。そして何より一連の件が何故この様な状況になっているのか見当もつかないサフィやリノアンもその場にディーンに促されて来ていた。
シャナンは既に練兵場の中央に立っていた。シヴァもその場に歩み寄る。
『先程とは雰囲気がまったく違うな』
 シャナンはシヴァが完全に戦える状況にあることを気付いた。
 フィンより二人に鉄の剣が渡される。けして刃を落とされていない真剣であった。それを見守る一同は驚きの声を上げる。だが、当事者の二人はけして驚くことはなかった。
「両者ともよろしいか?」
 シャナン、シヴァともに無言で頷く。するとフィンは誰に言うでもなく声を上げた。
「これから剣士シヴァに対して、マスターの叙勲を受けるに相応しいか否かを判断する。叙勲はイザーク王シャナンの名の下に授与されるものとする」
 再び一同から声が上がる。しかしそれを無視するかのように中央からフィンは離れる。するとどちらからともなく両者は剣を構える。シャナンは大振りに上段に構え、そしてシヴァはやや下段に構えている。
 それを心配そうに見守るサフィにディーンは言った。
「サフィ、彼は君に対して行った行動を悔いている。そして今自分をさらに高めようとこの場での戦いを選んだ。私が言うのも可笑しいが、出来れば彼を許してあげて欲しい」
 何も言えずに固唾を呑んでいるサフィ、隣にいるリノアンが彼女の言葉を代弁した。
「つまり彼は己の心の弱さを感じてマスターの叙勲を受ける気になったということなのですか?」
 ディーンは頷く。
「ああ、それも最も厳しい状況でな・・・場合によっては命すら危ない状況でだ」
 隣にいるサフィは驚きの余りディーンの顔を見る。だが最早声はでない。
しばらく何事もなく、始めの構えのまま動かない二人であったが先に動いたのはシャナンであった。彼は恐るべき剣線を持ってシヴァに一撃を加えた。しかしそれをシヴァは見事に剣で受け流す。だがそこからであった。シャナンはまるで剣を持つ腕が何本もあるかの様な剣撃を放ち続ける。シヴァもまるで予想してたか如くその剣撃そ全て受け流した。そう、シヴァはイザーク王家に伝わる秘剣「流星剣」を全て受け流したのであった。一同驚愕で声も出ない中、シャナンに同行しているラクチェは誰に言うでもなく呟いた。
「シャナン様、本気だ・・・いきなり流星剣を使うなんてありえないわ」
近くでそれを聞いていたフィンもそう感じていた。この戦いは確実にどちらかが傷つく否それより恐ろしい状況になりかねないのではないかと感じた。だが既に後戻りできないところまで事態は進んでいた。
『この男、やはり本物だ』
 剣を合わせる両者ともそれを痛感していた。
流星剣を全て受け流したシヴァは守勢から一転攻勢に移る。シャナンに対し突きを放つ。もちろん致命傷になりかねない程の剣線である。シャナンは自らの剣でそれをはじこうとするその時であった。
『何!!』
 シャナンの目には剣線が二つに見えた。その瞬間本能に突き動かされるまま一線を剣で弾き飛ばし、そしてもう一線を体勢を整えぬまま後方に飛ぶ形で避ける。
 剣線はシャナンの髪を捉え、それが肩に落ちて行く。
 一同が驚きの声を上げるか否かのところで、こんどはシャナンが攻勢に出た。体勢を整えると片腕で剣を持ち再び恐るべき速さでシヴァに駆け寄り様、胴を凪にかかる。シヴァもこの攻撃には剣で防ぐことが出来ずに後方に飛び退ろうとするが、間に合わず確実にシャナンの剣線がシヴァの胴を一線した。衣服が斬れ、薄く赤い血が滴り落ちる。だがそれに怯むことなくシヴァは再びシャナンに斬撃を加える。
 二人は守勢と攻勢を繰り返しながら数十合打ち合う。観客は既にこの戦いに興奮をおさえるどころか声すら出ぬ状況にあった。だが状況が変わったのは再びシャナンが秘剣である流星剣を放った時である。それは確実にシヴァが体勢を整え様とした瞬間であった。一撃目をなんとか避けたシヴァであるが、二撃目は右脇腹を掠め、そして三撃目を剣で受け流し、四撃目を左肩から下方へ一線され血飛沫が舞う。五撃目は地面を転がりながら避けるのが精一杯であった。
シヴァはシャナンのあまりに鋭利な剣線によって出来た痛みを堪えながら、すぐさま立ち上がり再び剣を構える。シャナンもけして相手が戦意を喪失していないということに気付き、再び上段に剣を構える。
 そんな中フィンにラクチェが近寄ってきた。
「お願い、この戦いを止めて!シャナン様は本気よ!相手の剣士を殺してしまうかもしれない!!」
 それはあまりに悲痛な叫びであった。フィンは厳しい表情をしたままそのまま両者の戦いを見守った。だがラクチェはさらに続けた。
「シャナン様のあんな戦い方は実践でしか見たことないわ!きっとシャナン様はこの戦いを始めた瞬間から目の前の剣士を殺めてしまうかもしれない覚悟をしていた・・・だっていきなり流星剣なんてありえない・・・」
 動転するラクチェを一目見ると再び目を戦う二人に向ける。
「いや、戦いはまだ終わっていない。少なくとも二人がそう思っている以上この場を止めるわけにはいかない」
 ラクチェは食い下がろうとしたが、今この騎士に何を言っても始まらないことに気付く。そう、フィンが言ったとおり戦う二人がまだこの戦いが終わっていないと思っているだろうことに気付いたからである。
 そんなフィンとラクチェのやりとりを周囲で聞いていた人間は何も言うことが出来なかった。そしてその一部で見守るディーン、リノアン、そして祈るように手を前で合わせるサフィの姿があった。
「ディーン、これは本当に叙勲の為の儀式なの・・・?まるで決闘の立会いをしているみたいだわ」
 ディーンは言葉なくうなずく。そしてリノアンの隣で沈痛な面持ちで見守るサフィを見た。彼女はけして戦場から目を逸らすことなく、シヴァの戦う姿を見つめていた。そしてディーンは誰に言うでもなく言葉を漏らした。
「シヴァを信じよう。彼は己の誇りと、そして己が大切に思うものの為に今戦っているのだ。水を差すような真似は誰にも出来ない」
『目が死んでいない・・・』
 シャナンはシヴァの眼光が今だ冷静であることに気付いていた。けして浅い傷ではない。しかし闘志は少しも鈍っていない。
『だから世の中面白いのだ』
 シャナンは一瞬笑みを浮かべる。
「まだまだ楽しませてくれるよな!」
 そう言うとともに斬撃を放つ。するとシヴァは剣撃を受け流すことなくその斬撃を縫うように走りこみ、再びシャナンに突きを放つ。今度はシャナンの右脇をシヴァの剣線によって斬りつけられる。周囲はシャナンの右脇に赤い血が広がるのを見てシヴァがシャナンに一撃を与えたことに気付く。
「シャナン様!!」
 フィンの隣にいるラクチェが思わず叫び声を上げる。だが同時に隣にいたフィンが声を上げる。
「両者そこまで!!」
 水をうった様にあたりは静まり返る。
 シヴァは最後の一撃を放ったままの体勢で体が崩れ落ちる。それをシャナンが受け止めた。そしてシヴァの手から剣を取り、彼に肩を貸す。
「いい戦い振りだった。オードの血を受け継がない人間にこれ程の剣士がいるとは正直思わなかったぞ」
 シャナンが言う一言にさして感銘を受けた様子でもなくシヴァは頷く。
「一人で立てるか?」
 再びシャナンの言葉にシヴァは頷くとシャナンから離れる。
 一同は改めてシヴァの受けた傷がけして浅くないものと気付く。彼の全身は深い傷や細かい傷から血が流れ落ちていた。
そしてフィンが駆け寄ってくる。
「大丈夫かシヴァ」
 フィンを見るとシヴァは珍しく表情に笑みを浮かべて言った。
「大丈夫なわけないだろう・・・この傷を見てくれ」
 フィンもわずかばかり微笑むとシャナンを見やる。シャナンは頷くとこの一部始終を目にした人々に向かって言った。
「剣聖オードの血を受け継ぐ者としてその名のもとにマスターの叙勲を剣士シヴァに贈る」
 そこまで言うと一同から歓声が沸き起こる。この場にいた全ての人間が一人の剣士が剣聖となることを祝福した。だがその瞬間シヴァの肩が落ちる。それを見たディーンは叫んだ。
「サフィ!早く彼の治療を!」
 サフィもその言葉を聞くや否や、その場を飛び出しシヴァのもとに駆け寄った。
だがその時には既にシヴァは気を失っていた。



 シヴァが再び目を覚ました時、一番に目に入ってきたのは目を赤く腫らしたサフィの顔であった。
「シヴァさん!」
 喜びの声を上げるサフィの声に、意識がだんだんと回復する。そして周囲の状況がやっと理解できるようになった。おそらく自分はシャナン王子との戦いの後、意識を失い医務室に担ぎ込まれたのであろう。なんと無様なことだと自嘲する思いにかられた。そこに他の声が割って入る。
「素晴らしい剣技だったぞ、また手合わせ願いたい」
 それは先程まで戦っていたシャナン王子の声だった。サフィの隣に立つ彼もまたシヴァによってつけられた右脇の治療を受けた後である。そしてその個室には他にもフィンやディーン、リノアン、そしてシャナンの付き添いのラクチェがいることに気付く。
「いや、もうあんな戦いはこりごりだ・・・できれば普通の稽古にしていただきたい」
 シヴァの冗談含みの言葉に一同笑い声を起こす。
「それはこちらも同じことだ」
 シャナンは苦笑を漏らしながら言うと隣にいるラクチェが血気盛んに言ってのけた。
「シャナン様ずるい!今度は私が彼の相手をするわ!シャナン様の仇をとるから!」
 どうやら彼女にとってはシャナンに一撃を加えたシヴァに軍配があがっていたのであろう。何より自分はシャナンにまだ遠く及ばないのに、目の前にいる剣士は自分より早くシャナンに一太刀を浴びせたことが気に入らないという様子だった。
「こら、ラクチェ!初対面の人間に対して失礼じゃないか!」
 シャナンに窘められるとラクチェはそれ以上何も言えなくなってしまった。一同はそんな彼らのやり取りを微笑ましく見守る。
 不意にフィンがシヴァに話かける。
「しかしこれで君はこの大陸に冠絶する剣士として名を馳せることになるだろう。イザーク王の名のもとに与えられるマスターの称号は剣士にとっては最高の栄誉だ。当初君が望んでいた様な傭兵として気ままに剣を振るうということが出来なくなる。今更こんなことを言うのもおかしな話だが覚悟は出来ているのであろうな」
 シヴァはゆっくり頷きながら言った。
「ああ、俺の剣を正しいことに使えるのであれば何だっていい」
「そうか・・・」
 フィンはそれ以上は何も言わなかった。
周囲の会話が一段落つくと、突然リノアンが口を開けた。
「それでは皆さんここはサフィに任せて、せっかくシャナン王子に来ていただいたのだから食事でもどうでしょうか?」
 隣のディーンの含み笑いを無視してリノアンは一同を別室に促した。退出際に扉から顔を出しながらリノアンはシヴァに向かって言った。
「二人きりになったからってサフィのことを襲ったらただじゃおきませんからね!」
 リノアンの言葉にシヴァ、サフィともに呆気に取られながら見送った。そして他に誰もいなくなるとシヴァはサフィを見つめながら言った。
「サフィ、すまなかった。俺はあなたに対して揮った行為に深く後悔している。
謝る言葉も見つからないくらいに・・・。」
 サフィはゆっくりと首を横に振る。
「いえ、私こそシヴァさんに手を上げてしましいました。あの時は気が動転してしまいましたが、よくよく考えると自分の未熟さが全ていけなかったと思います」
 シヴァはいつもながら謙虚な姿勢のサフィに笑みを浮かべながら言った。
「あまり謙虚になるな・・・あなたは自分が思っている以上に立派に役目を果たしている。人の生き死にを見ながら精一杯人に尽くそうと努力している。誰にでも出来ることじゃない。あの時、生殺与奪の力を得た覚悟があるのかと問いただしてしまったが、よくよく考えるとあなたは既にそういう中で生きてきている。きっと新たに与えられた力も悪い方向には使わないだろう・・・少し考えればわかりそうなことだったのにな・・・」
 シヴァのため息の様な言葉にサフィは恥じ入りながら聞いた。
「何故シヴァさんはあの時あんなにも感情的になっていたのですか?」
 突然のサフィの核心的な質問に一瞬シヴァは言葉を詰まらすが、正直に言いたい気持ちの方が強かった。
「俺はあなたに嫉妬していたのだろう。今まで近くにいるはずであった人間が遠くへ行ってしまったという焦燥感に襲われてどうしようもなかった。それが自分にとってとても大切な人間であればあるほどその感覚はとても強まっていったんだ・・・」
 サフィは少し照れた面持ちで再びシヴァに聞いた。
「シヴァさんにとって私はとても大切な人間なのですか?」
サフィの意外な言葉に逆に呆気にとられながらもシヴァは確信的に言った。
「ああ、とてもな・・・」
 特に表情を変えることなく言うシヴァにサフィは頬を朱に染めて言った。
「・・・嬉しいです、本当に・・・私もシヴァさんのことを大切に想っております」
 彼女の中でも心の変化があったことにシヴァは気付く。それが何より嬉しかった。すると不意にシヴァはサフィの肩を引き寄せる。そしてサフィを一瞬見つめると自らの唇をサフィの額にあてた。
 サフィは驚く表情から喜びの表情に変化させた。そしてそれが次第に照れた笑みに変わる。そして自らシヴァに抱きつくのであった。
「あなたと共にいることが許される限り、俺はあなたを守る剣を振るいたい」
 シヴァの言葉にサフィは言葉なく頷く。


 だが気付いていただろうか、シヴァの言葉には一抹の寂寥感が存在していたこと
を。今は彼にしか気付くことが出来ない感情を・・・・。







−完