言 霊 の  法 







「エフラム」

「……」

「エフラム」

「……なんだ?」

「……エフラム!」

「……一体、どうしたんだ」
 耳でも聞こえなくなったのかと、同じことを呟き続ける少女にエフラムはとうとう振り返ってそう言った。最初に呼ばれた時に声で彼女だとはわかっていたが、なんだか面倒事に巻き込まれそうな不吉な予感を感じて返事するのも億劫だった、というのは心の奥底だけの呟きだ。
 そんなエフラムの心の内を当然知る筈もないのだが、ラーチェルの表情はいつもと違って少々神妙だった。やはり予感は当たってしまうのか……と思いつつも、どうした、と少女に問うた。
「……なんともありません? こう、心拍数があがったりとか、顔が熱くなるとか」
 身振り手振りで奇妙なことを話す少女にエフラムはますます訝しげに眉間に皺を寄せたが、
「いや、別に。至って健康だ」
 と、とりあえず少女の質問に真面目に返した。
「……むう。おかしいですわ」
「何が」
 おかしいのは君だろう、と喉まで出かかっているのをぐっと堪え、エフラムはそう返した。正直に言いたいことを言えば収拾がつかなくなるのは目に見えている。目の前の少女とのやり取りに自分も少しは慣れてきた頃か、と心中で思っていたりした。
「エフラム、あなた実は魔法が使えるのではなくて?」
「……魔法だと? 俺が?」
 いつもながら彼女の発言は唐突で脈絡がない、とエフラムは改めて感じた。初めて会った時から、少女の言動行動には驚きの連続だ。おかげで取り繕おうにもそんな余裕もあまり無く、彼女を前にするとつい地が出てしまうことが多くある。少女を何かに例えるとしたならば、まるで彼女自体が巨大なびっくり箱。その上更に、その箱は底がなく無限に中身が詰まっているような、そんな印象。
 初見から結構な時間がたった今でも、エフラムは彼女を殆ど掴めていない状態だった。
 これでも、努力していないわけではない。
 吟遊詩人の謡うサーガに魅せられて魔物退治の旅に出たことはエイリークから聞いて知っている。彼女が正義の味方だの英雄だのそういうものに憧れてやまず、自分もそういう存在になろうと努力しているのはわかった。故に彼女の魔物に対する執着も理解できる。そんなかんじで、一つ一つ彼女のことがわかってきた。
――それだというのに。

「巧妙に隠して、油断させておくのはとてもずるいと思いますわ。わたくし、危うく騙されるところでした」
 少女は、どこか責めるような、それでいて少し得意げな口調でエフラムに言い放った。
「一体なんの話だ。自慢じゃないが、俺は物心つく頃から槍だけしか興味が無かった。魔法なんてもの、勉強したこともないし習おうと思ったこともないぞ。たぶん才能もないだろうしな」
 最近ますます、彼女がわからなくなった。少しわかったと思ったのも自分の勘違いだったのではないか、というほどに。
 エフラムは自分が少し苛ついているのを心のどこかで認めながら、きっぱりと彼女の言葉を否定した。どうして自分はこんなに苛立っているのか。不可解な少女の言葉のせいか。原因がわからないせいか。それとも、わかったと思ったのにまたわからなくなってしまったからなのか。

「……そうですの。変ですわね……」
「……何でそう思ったんだ」
 残念そうに顎に手をあてて呟くラーチェルに、エフラムは直接疑問をぶつけた。
「いいえ、そもそもいくらなんでも名を呼んだだけで効果のある魔法なんて、そうそう使えるものではありませんわ……膨大な魔力を持つ魔道士ならともかく……」
「……何をぶつぶつ言ってるんだ?」
 少女はこちらの言葉など全く、聞いてなかった。反応すらしないラーチェルにエフラムは一つ溜息を吐いてから、身を屈める。少女の顔を覗き込むように。そして、今度こそ彼女に届くように名前を呼んだ。

「ラーチェル?」
「!?」


「……どうしたんだ、顔が真っ赤なんだが」

「いっ、いいえ! ……な、何でもありませんわ。あら、わたくし急用を思い出しましたわ。で、ではご機嫌よう」
 早口で紡ぎながら、少女は逃げるようにしてこの場を去ってしまった。そのあまりの逃げ足の速さに閉口しつつもエフラムは疑問に感じずにいられなかった。
 そもそも、彼女は何故ここに来たのだろう。やはり自分に何か用があったからだろう。それだというのに。その用事とやらは済んだのだろうか。さっきのあの会話で? たったのあれだけで?


「……また、わからないことが増えたな」

 小さくなる少女の背中に向かって、ふうと溜息を吐いたのだった。